女性の今からの生き方は、「バリキャレーゼ」が素敵!
40歳代女性 いつの間にか親の介護をしながら生きる人生となった彼女。
決して最初から、彼女はこの生き方を選んでいた訳ではありませんでした。短大を卒業して、順調に就職をし、その後、母親が病気となりその看病で仕事をパートに切り替え、父親の食事を作りながら母親の介護をし、そしてパートの仕事をこなしていた。おそらくなんとなく気がつけばそうなっていた毎日だったと思います。そんな中、母親が亡くなり、気がつくと父親一人娘一人の暮らしで、自分の結婚など考える暇もなく40歳過ぎまでがんばってこられようです。
だんだんと介護が必要になってくる父親の面倒を賢明にみながら頑張ってきた彼女でしたが、年毎に自分への付加が重くなるのを感じ、今の生活をどうにかしていきたいと考えるようになりました。
ある日とうとう、もうこれ以上自分では背負いきれない今をなんとか変えたいと、私の事務所にこられたのは、40歳代半ばのときでした。若いときにも縁談はあったのですが、母親の看護もあり踏み切れずの人生だったとのことでした。
私の中で浮かんだのは、彼女の状況を理解してくれる人。これにポイントを絞って探そうと思いました。
そうすると、運よく?タイミングよく?彼女を紹介してみようと思う彼からなんと、お会いしたいとお申し込みがありました。
運ある二人と感じた私は、ひたすらもくもくと日程調整をして合って頂きました。
二人はじめから行き投合して、その後はとんとん拍子に結婚の会談を二人仲良く歩いています。
私はこの二人を見ていて何より、彼女が入会して活動期間5ヶ月ほでお相手を決めて退会される勝因は、彼女がお相手に求めるものが、最後までぶれなかったことだと思います。検索システムは、案外両刃の剣となりお互いに傷つけあいます。
でも、彼女は一度も検索をすることなく、しかも最初の思い、自分の肩の荷物を一緒に背負ってくれる人、これをくずすことがなかったことだと思います。
余り欲張らず、でも、自分の希望も絞込み、そこは揺るがずお相手を探していく。
ある種、見本だな・・・と思ってます。
40歳代女性 いつの間にか親の介護をしながら生きる人生となった彼女。
決して最初から、彼女はこの生き方を選んでいた訳ではありませんでした。短大を卒業して、順調に就職をし、その後、母親が病気となりその看病で仕事をパートに切り替え、父親の食事を作りながら母親の介護をし、そしてパートの仕事をこなしていた。おそらくなんとなく気がつけばそうなっていた毎日だったと思います。そんな中、母親が亡くなり、気がつくと父親一人娘一人の暮らしで、自分の結婚など考える暇もなく40歳過ぎまでがんばってこられようです。
だんだんと介護が必要になってくる父親の面倒を賢明にみながら頑張ってきた彼女でしたが、年毎に自分への付加が重くなるのを感じ、今の生活をどうにかしていきたいと考えるようになりました。
ある日とうとう、もうこれ以上自分では背負いきれない今をなんとか変えたいと、私の事務所にこられたのは、40歳代半ばのときでした。若いときにも縁談はあったのですが、母親の看護もあり踏み切れずの人生だったとのことでした。
私の中で浮かんだのは、彼女の状況を理解してくれる人。これにポイントを絞って探そうと思いました。
そうすると、運よく?タイミングよく?彼女を紹介してみようと思う彼からなんと、お会いしたいとお申し込みがありました。
運ある二人と感じた私は、ひたすらもくもくと日程調整をして合って頂きました。
二人はじめから行き投合して、その後はとんとん拍子に結婚の会談を二人仲良く歩いています。
私はこの二人を見ていて何より、彼女が入会して活動期間5ヶ月ほでお相手を決めて退会される勝因は、彼女がお相手に求めるものが、最後までぶれなかったことだと思います。検索システムは、案外両刃の剣となりお互いに傷つけあいます。
でも、彼女は一度も検索をすることなく、しかも最初の思い、自分の肩の荷物を一緒に背負ってくれる人、これをくずすことがなかったことだと思います。
余り欲張らず、でも、自分の希望も絞込み、そこは揺るがずお相手を探していく。
ある種、見本だな・・・と思ってます。