「合併症」はやむをえないもの、諦めなければならないもの?
これは、医療事件に限った話ではなく、裁判になるような事件すべてに共通する話でもあります。
裁判では、とにかく「事実」が重要です。
事実が大事
どんな事実があったかということを裁判官が前提としてくれて、初めてその事実に基づいて、何らかの評価ができるわけです。
医療事件で、医師の過失を認めさせたいと考える場合も同様です。
過失の前提となる事実関係が明らかになってはじめて、過失かどうかを評価することができるわけです。
証拠が大事
裁判の場では、事実は、証拠により認定します。
民事裁判では、一定の事実は相手方が認めてしまえば証拠が不要となることもありますが、相手が争っている事実や相手が「知らない」という態度を見せている事実については、原則として証拠がなければ認められません。
ですから、事実を認めてもらうためには、証拠が非常に重要になるのです。
医療事件でも同じです
医療事件の入口の相談の段階でも、相談者の方のお話しをうかがいながらいろいろ構成を組み立てて考えてみますが、相談者の方のお話しを無条件に尊重してそのまま組み立てられるかというと、そうはいきません。
例え相談の段階であっても、後に裁判にまで至った場合に、その事実が裁判所に認めてもらえるかどうか、認めてもらえるだけの証拠が揃えられるかどうかというところまで考えておかないと、過失を評価してもらうための前提条件を欠くことになってしまうからです。
こうした理由から、医療事件で相談を受ける際にも、相談者の方が嘘をついていると思っているわけではありませんが、他に裁判の場でも通用するようなできる限り客観的な証拠がないかどうかということを常に気にしながら確認をするのです。
こうして、裁判で十分に認めてもらえる可能性があると判断できるだけの事実を把握して初めて、その事実を前提とした過失が存在するのかどうかを検討することになるわけです。
なお、過失だけでなく、その過失によって生じた損害といえるかどうか、過失と損害の間の因果関係という点についても、実は同じように裁判の場で証拠による事実認定がなされるかどうかという点がとても重要になります。
弁護士が相談を受ける際には、こうした「事実の把握」、特に「裁判所で認定してもらえるような事実の把握」ということをかなり気にしているのだということを、知っておいていただければと思います。