躾は誰のため?
ここに私たちが今、ここに生きているのは、脈々と流れる先祖からの恩恵があり、多くの先人が築き上げた環境や文化があったからであり、自らの力で築き上げたものではありません。
もっと広く考えれば、自然や宇宙の摂理によって生かされていると考える事もできます。
でも、自分の力で築いてきたように錯覚し、自分を主張し、自分を生かそうとするのは、なぜなのでしょう?
どのようにあがいても変える事ができない事もあります。人一人の力はそんなに大きなものではなく、小さなものです。
また、いくら国を動かすほどの大きな力があっても、今、地球温暖化を止める力は、ありません。
私たちにおごりがある限り、自滅の道へと進んでいくように感じます。
多様性の時代と言われ、少数派の意見が大切にされるようになったとしても、お互いの我を通すだけの世の中になることではないように思います。
互いの弱さを知り、相手を理解し合い、共に支え合っていく道を切り開くことだと思います。
力でねじ伏せる事ではなく、手を差し伸べ合う事だと思います。
「かわいそうだから。」「不憫だから。」などと、自分を優位にするために手を差し伸べるわけではありません。一緒に支え合って生きたいから手を差し伸べるのだと思います。
そのためには、相手への敬意だけでなく、感謝が必要だと思います。
互いに感謝し合う関係になれば、争う理由がありません。
今
ナイフを持った手を後ろに隠して、笑顔で握手しているように思います。
政治と経済をうまく使い分けをしているように思います。
岸田総理の外遊、麻生副総理とトランプ前大統領との会談
裏と表があって当然のように振る舞っています。
日本も世界の醜い渦に巻き込まれて、同じように対応しているように思います。
敵がいるから守る
犯される危険があるから守る
エゴにまみれて、相手を心から尊敬し、感謝しない限り、平和な世の中は、築けないと思います。
これは、国の問題ではなく、私たちの身近な世界でも同じ事だと思います。
夫婦関係であっても、子育てであっても、「敬意」と「感謝」を互いに持って行動していれば、理解があるだけで、争う理由が見つからないように思います。