身体に声をかける
自分の人生の主役は自分ですが、子どもができると子ども中心の生活になる事が多く、自分の時間を奪われ、困ったと悩む人がいます。
これは、自分の中にある「利己心」と「利他心」の葛藤がその正体だろうと思います。
人生百年と考えた時、自分が育つまでに要した時間を25年、子育てに時間を費やす時間が25年と考えても、50年は、自分時間になります。
その50年を健康で過ごす事ができれば、その自分時間の中に孫や両親などと関わる時間や自由に使える自分の時間を充実させる事ができます。
自分時間の中にも必ず、「利他」で生きる時間と「利己」で生きる時間があります。
子どもは、いずれ親から離れていく存在ですが、子育ての時間は、ある意味「利他」を学ぶよい機会だと思います。
我が子が喜ぶ事をしたくなる
我が子の将来のために役立つことをしたくなる
我が子の成長を喜びたくなる
そのために精一杯した事が、「利他心」を育み、他の場面に役立つ素地になって行きます。
孫の子育てに参加したり、両親の介護をしたりする時にもそれが生きて働きます。
そして、このような家族のためだけでなく、地域のため、会社のため、社会のため・・・利他が優先する場面は必ずあります。
私たちの人生は、他者との関わりを切り離すことはできません。
子育ての中で、利他心と利己心を対立させて、葛藤を生み出している生活をしていると、これらの場面で、同じように葛藤が生まれて苦しむ事になります。
それよりも、今は「利他心」を育む時と考えて上手く時間のやりくりができる生活にすると充実感が増すように思います。
この事をエネルギーで考えてみると、葛藤を生んでエネルギーを消耗するよりもそのエネルギーを子育てや子育てに譲って残った自分の時間に使った方が充実することになります。
脳は物事を単純に考えようと働くため、一度に2つを考える事ができないように1つにすれば、葛藤する事なく事を進める事ができます。
ですから、葛藤せず、「利己心」と「利他心」のどちらを優先するのかをその時々に決め、割り切って取り組むと事が進めやすくなります。
執着があると葛藤する事になります。ここは、この両者を人格のように扱う事になります。
つまり、
「利己心さん、ごめんなさいね。必ず、後から補うから、ちょっと我慢してね。」
「利他心さん、あなたのおかげで、楽しい時間になったよ。」
「利己心さん、ありがとう。気持ちが楽になったので、今度は利他心さんに活躍してもらうよ。」
「利他心さん、今回は、利己心さんに譲ってくれない?必ずお土産を買ってくるから。」
などと互いを配慮しながら、一方に決めて取り組みます。
奪うわけではなく、お互いに生かし合う事で、それぞれの心を磨く事になります。
上手く時間を使う人は、この切り替えが上手いように思います。思い悩む無駄な時間が少なくなるように思います。
(時には悩まなければならない重要な時もありますから、葛藤を否定する事ではありません。葛藤を昇華して新しいものを生み出す事もできます。ただ、葛藤が日常的になっているとストレス過多になります。)