言葉だけでは
今、私は瞬間瞬間に求められる人物を意識する事に挑戦しています。
ところが、この事に集中して生活する事はとても難しいと実感しました。
1日の生活を振り返ってみると、様々な出来事がおきますが、その出来事に反応していることが多くあるように感じました。
例えば、電話がかかってくると、その内容を聞き取り、的確な判断をして、対応するように心がけてています。
この時、求められる人物を意識しているかと問われれば、あまり意識していません。
これまでに身につけた、能力を発揮して対応していますが、自分の持っている沢山の引き出しから必要な材料を取り出して、渡している感じがします。
一方、瞬間瞬間に求められる人物を意識すると、
「最善を尽くしているのか。」
「責任を持って対応しているのか。」
と、内なる声が聞こえてきます。
これを四六時中する事はできません。
今は、「ここぞという時に、力を発揮してくれればよい。」と考えるようにしています。
ただ、この視点を持ったことで、今の時点で私なりに役割を果たさなければならない人物が明らかになり、その人物への力の注ぎ方に軽重があることに気づきました。
一個人としての自分
親としての自分
祖父としての自分
パートナーとしての自分
社会人としての自分
経営者としてに自分
地域人としてに自分
相談者としての自分 など
今は地域人としての自分を大事にしているように思います。その分、パートナーとしての自分が疎かになっていました。
そして、妻には、多くの負担をかけていた事に気づきました。自分勝手に生きていた自分がいます。
このことから、バランスをとりながら、上手く生きていく事が、自分だけでなく、自分と関わる多くの人の幸せにつながるのではないかと思いました。
バランスが欠けると、どこかで人に迷惑をかけたり、負担を負わせたりする事になります。
このことさえ気づかずにこれまで、生きてきたように思いました。
自分一人で生きているわけではありません。常に人と関わり、支え合い、補い合って生きているのが私たちです。
求められる人物を意識することで、改めて自分のあり方を見つめる事ができました。