習慣が崩れる時
自分の気持ちを伝えるようとしても、相手に伝わる上手い表現ができるとは限りません。
先日も会議の方向を修正したいけれども、納得していただくように上手く説明ができない事がありました。
この時、伝わらないもどかしさを感じながら、どうしても伝えたい必死さが、感情を湧き上がらせ、口調も早くなり、次第に声も大きくなっていく自分になっていきました。
これは、幼い子どもが、駄々をこねた時に、泣いたり、体を頑なにしたりして抵抗している姿に似ていると思いました。
幼い子どもとは異なり言葉を多く獲得しているため、何とか言葉巧みに思いを伝えようと努力しますが、それでも伝わりません。
何を言ってもわかってもらえない気持ちになっています。
この時、「仕方がない。諦めるか。」と思考が働きます。
しかし、一方で感情が、諦めさせないように気持ちを高めて抵抗しているのを感じます。
話し合いが、ここまで来ると、相手は、言葉ではなく、感情の抵抗を感じているように思いました。
感情的になることは、話し合いの中では、できるだけ避けたいといつも考えていますが、感情は、最後の砦のように自分を守っていてくれるのだと強く感じました。
思考は、その時々に現れる言葉に敏感に反応しますが、いつも適切に表現できるとは限りません。
そんなとき、意思を相手に伝える役目は、思考ではなく、感情だと思いました。
よく考えてみると、感情が思考よりも力を発揮することは、日常茶飯事でした。
美味しいから、もっと食べたい。
儲かるから、もっと続けたい。
楽だから、このままでいい。
気持ちいいから、やりたい。
心地よいから、このままでいたい。
居心地がいいから、ここがいい。
お腹が空いたから、何か食べたい。
辛いから、やめたい。 など
数えきれないほど多く見つかります。
というよりも、感情→思考 の流れが多い事に気づきます。
(意思を働かせているようには思えません。)
となると、会議の中では、感情を抑えようとした事が特別のように思えてきました。
何故、このような違いが生まれるのか、考えてみました。
ここには視野の広さが大きく影響している事がわかりました。
感情→思考の場合は、刹那的な事が多く、「今」を扱っています。
しかし、思考が優先している時は、意思が働き、「今」だけでなく、長期的視野に立って、長い目で見た「未来」も視野に入ってきます。
このことを考えると、「今」を考えるだけでなく、「未来」を視野にいれるのが、意思が働いた時の思考が大切な役目を果たしていると思いました。
新しいことを始める時、今あることをやめる時、この時に「感情→思考」の流れで事をすると、長続きできないばかりか、後悔したり、言い訳をしたりするために思考を使う事になりそうです。
思考が優先している時には、意思が働いているので、課題解決をすることになります。この時には、失敗は学びとなり、次の挑戦につながるように思います。
日常茶飯事に行っている「感情→思考」を一つでも、意思を働かせ、思考を優先する事ができれば、生活が変わるように思いました。
美味しいけど、ほどほどにしよう。
儲かるけど、これでいいのだろうか。
楽だけど、我慢しよう。
気持ちいいけど、こんな時ばかりではない。
心地よいけど、私だけでいいだろうか。
居心地がいいけど、いつまで続くだろう。
お腹が空いたけど、我慢できるかもしれない。
辛いけど、乗り越えるいいチャンスかもしれない。 など
可能性を広げるチャンスは、意思を働かせた時の思考の使い方にあるように思います。
そして、この時に生まれる感情を味方にするとよりよく生活を変えられるように思いました。
我慢強くなってうれしい。
達成できて満足。
上手くできて安心した。
一体感を感じて嬉しい。
チャンスを生かせて充実感を味わえた。 など
会議でのこだわりは、意思を働かせ、思考を優先し、可能性を広げるチャンスだと考えていたからだと気づきました。