壁が壁でなくなる時
願いを強く持っていると、必要な時に必要な出来事が現れてくると思われる出来事が次々と現れるのでびっくりしています。
・「もうそろそろ買った物が届く頃かな。」と思っていると、宅配業者
が、品物を届けてくれました。
・「会議の内容をうまく説明していただけるか、心配だけど大丈夫か
な。」と思って出かけると、出先で偶然にも話したい相手と出会う事
ができました。
・会議の中で「この事は、話題にしなければ。」と思っていた事が、別
の方から提案という形で話題提供をされ、その中で、私も意見を述べ
る事ができました。
これまで、「願えば、必ず願いが叶う」・・・何て、あり得ないと思っていましたが、これほど続くとびっくりします。
同様に
「きっと、このままスムーズには、進まないだろうな。」と思うと、やはり、目の前に乗り越える壁が現れてきます。
それも思わぬところから、問題が発生し、対応に苦慮する事になります。
でも、自分が願ったからだと思うと、
・その壁は、私のために現れてくれている。
・どのように乗り越えるのか、試されている。
と考え、ワクワクしながら挑戦したくなります。
面白い事に、問題解決のための方策が、次から次へと湧き出してくる感じがします。
また、問題が大きくなると自分一人では到底対応できないために、人を巻き込む事になります。
困り果てていると、ふっと必要な人が現れて助けてくれます。
このような出来事は、私だけでなく、誰にでも起きているのではないだろうかと思います。
ただ、気づかないで過ごしているのでは?と思います。
よく「立場が変わると、対応が変わる」姿を発見する事があります。
これは、立場が変わる事で、今まで気づかなかった事に気づくため、今までの対応を変えざるを得ないから、対応が変わるのだろうと思います。
これは、私たちが既に体験している事です。
例えば、
・「独身の頃の自分」と「家庭を持った自分」
・「子どもがいなかった頃の自分」と「子どもを授かった頃の自分」
・「車の運転ができなかった頃の自分」と「車を運転する自分」
・「介護を体験していない自分」と「介護をしている自分」
など、様々な自分を探し、比べてみると、立場が変わるとかなり気付ける事が増えてきたように思います。
立場が変わるという事は、今までので自分よりも視野が広くなるため、見えるものが多くなったと考える事ができます。
これは山の頂上から、見える世界を眺めていると考える事ができます。
登る山が高くなれば、見える世界も広がります。
自分を磨けば磨くほど、自分のレベルが上がり、見える世界が広がっていくのではないかと思います。
その意味から考えると、成長とは、今まで気づけなかった事が、気付けるようになる事かもしれません。
「願えば、必ず叶う」・・・・私自身が成長して、ようやくこの事に気付けるようになったのかもしれません。
ある書物の中で、上甲 晃さんが、マザーテレサに
「どうしてあなた方は、あの汚い、怖い乞食を抱き抱えられるのですか?」
と尋ねたところ、マザーが、即座に
「あの人たちは乞食ではありません。」「イエス・キリストです。」
と答えられたそうです。
そして、
「イエス・キリストは、この仕事をしているあなたが本気かどうか確かめるために、あなたの一番受け入れがたい姿であなたの前に現れるのです。」
と、おっしゃったそうです。
同じ人物を見ても、乞食に見える人もいれば、マザーのようにイエス・キリストに見える人もいます。マザーの気づきは、日頃の修道女としての自分磨きの成果だと思います。
自分を磨くと同じ人物を見てもこれ程の違いが生まれます。
見える世界は、自分磨きによって変わるという事に気付かされます。
気づきで、今の自分のレベルを測る事ができそうです。
自分の成長の証が、気づきとなって現れているように思えてなりません。