身につかない習慣
今年度初めて参加した会議のあり方に疑問を持っていたので、今年度最後の会議に一言言おうと思って、事前に話す内容をまとめて、準備をして会議に臨みました。
機会を伺っていましたが、夜にはこの会の懇親会が控えているため、会議で発言する時間がありませんでした。
残念な気持ちで一杯でした。
気になりながら、懇親会に参加しました。
懇親会に参加された方々に意見を求めたところ、私と同じように疑問を持っている方がいる事がわかりました。
その後、司会をされた方とも話をする事ができ、自分の考えをお伝えしたところ、
「あなたの言う事は、その通りだと思います。努力します。」
との意見をいただきました。
「機が熟す」という言葉がフッと浮かびました。
以前の私ならば、自分が正しいと思った事は、感情に任せて、強引に会議の中で、発言していたように思いました。
もし、会議の中で話していたとすると、
「これから、懇親会というのにどういうつもりだ。」
「それはそうかもしれないが、話し合う時間がないので、次回に。」
などとなり、聞き流されて、軽く扱われてしまう事になったと思います。
今回は、場の空気を読み、発言を控えました。
この事が幸いして、懇親会の中で会員の方の本音を聞き出し、同じ思いを持っている方を発見する事ができました。
また、直接司会の方と会議とは違う懇親会の場で話をすることができ、率直な意見を伺う事ができました。
一人の力で変えられないことは、多くの人を巻き込んで大きな力にして立ち向かう事が大事だと、神様(見えない力)が、私に告げてくれたのではないかと思いました。
機を伺い、熟した頃に発言すれば、個人的な意見ではなく、多くの意見となり、会議のあり方を変えることになると思いました。
この事を考えると、じっと発言を聞きながら過ごしてきた中で掴んだ事は、1年の経験を積んだ者として、次年度発言する方が、効果的になると思いました。
また、それまでに、同じ考えを持つ仲間を増やす努力ができます。
そして、発言する内容ももっと練り、共感を得るための準備ができます。
「自らを磨き続ける努力をしていると、今の自分の状態に合った課題が現れる。」
正にこれです。
・仲間を増やすこと
・共感できる内容に考えをまとめること
ようやくこの2つの課題が、私の目の前に現れてくれました。
「負」と感じる出来事にしたのは、上っ面の「感情」でした。
(「残念だ」=「負」)
「負」と感じた感情の深いところを探っていくと、「正義」が現れました。
この「正義」を貫くためにこの2つの課題が生まれてきたと考えると、決して「負」ではありません。
「残念だ。」という感情を持ち続けていたからこそ、会員や司会者との会話に結びついたのだと思います。
私たちの周りに起きる出来事には、「負」と感じる出来事が一杯あります。
しかし、それは、自分の課題を発見し、課題解決に向けての学びの機会と考えれば、決して出来事は、「負」にはなりません。
自分の見方一つでどのようにでもなるのが、「出来事」のようです。
現れた感情を深く見つめていくと決して「負」ではありません。上っ面の感情を受け取った思考が、「負」にしているだけでした。
この出来事から生まれた課題を解決できるよう努力し、機が熟した頃に発言したいと思います。
「感情」、そして、その感情に意味つけをした「思考」、進むべき方向に導いてくれた「意思」に、感謝!感謝!