会話の質が、大事
これまで、いろいろな仕事をしてきました。
その時、「最後まで自分の力でやり切らねばならない。他人に頼らないようにしよう。」と仕事に向きあってきました。
そのため、
他人に頼る事は、他人に迷惑をかける事になる。
他人に頼る事は、自分に力がない証拠だ。
他人に頼る事は、恥ずかしいことだ。
他人に頼る事は、情けない事だ。
と、思ったり、感じたりします。頼る事に罪悪感がありました。
こんな私ですから、助けてもらっても、
「ありがとう。」
よりも
「ごめんなさい。」や「すみません。」
という言葉を発する事が多くなります。
人間一人では生きていけないと頭では分かっていても、なかなか素直に頼る事ができない自分がいます。
すぐに助けを求める人をみると、
「情けないなあ。」
「力がないから仕方がないなあ。」
「迷惑をかけても平気なのだろうか。」
などと否定的に捉えてしまうのも、自分の内面が、外に現れているからだとわかります。
これは、私が長い年月をかけて作ってきた「思考習慣」になります。
この習慣があったからこそ、かなりの事をやり切る知恵や技や体力を身につけてきたように思います。
負けず嫌いで、常に変化を先取りしてこれたのも、この「思考習慣」のおかげとも思います。
そして、皆さんに喜んでもらえるいい仕事ができるのもこの「思考習慣」のおかげだと思います。
でも、この習慣にも限界がある事に薄々気づき始めてきました。
それは、一人でできる事の限界が見えてきたからです。それと同時に、頼る事で、思ったよりもいい仕事ができると感じる事が増えてきたためです。決して年齢的な衰えからではありません。
他人に頼る事で、今までよりも大きな仕事をスムーズにできる事を実感する事が増えてきました。
そして、願っている事が形になり始めています。願いを実現するために、協力してくれていると感じます。同じ方向を向いて一緒に歩いている感じがします。
頼る事がとても心地よい感じがします。
そのため、頼る事への罪悪感が薄れていく感じがしています。
振り返ってみると、今まで自分の力でやってきたと思った事でも、かなり多くの人の支えがあった事に気づきました。
協力してくださる人がいたからこそ、できた仕事ばかりでした。
反対された事も、力を付けたり、冷静に見直しをしたりする事に大いに役に立っていました。
まるで、頂上に登り詰めて、眼下を眺めている感じです。
登っている時には気づかなかったことが、後ろを振り返る事のできる頂上からは、よく見えます。
私の「思考習慣」についても同様で、限界を感じるところまで、やり切った(山頂に登り詰めた)からこそ見える世界が広がったように思います。
自分を信じて、極めるまで、思い通りに生きていると、必ず、神様が、次のステップを用意してくださる・・・・・
(無宗教の私ですが、何か目に見えない力に導かれている感じです。)
目の前にゴミステーションの問題が現れています。
この問題も皆さんの力を借りれば、自分の考えた仕事よりもよい仕事になるに違いないと思えるようになりました。
そして、皆さんを集め、知恵を発揮する場を設けたくなりました。