続かない原因
最近、目覚める時刻が、1時間ほど早くなりました。
6時間の睡眠が、5時間になった感じです。目覚まし時計を使わないのですが、身体が自然に反応しています。
1時間早くなったから、その分できることが増えたかと言えば、そうではありません。
以前よりも朝する事に時間がかかるようになっています。
このことで、身体に支障があると心配ですが、今のところ身体の変化がないので、まあいいかなと思っています。
どこかで、身体が朝の活動に協力してくれている気がしています。
ここまで書いていたら、ふと「醸し時間」が増えた事を思い出しました。でも具体的には、今日する事を書き出すだけですからそんなに時間が必要ではありません。
それよりも、1つの事をする事に長く時間を費やす事になっている事が、気になっていたので、このような書き方をしてしまいました。
ここで気になっているのが、「ごまかす自分」です。
自分を美化し、誇張したがる自分が時々顔を出します。
昨晩も、クラブ活動を一緒やっている仲間から、「もう30分一緒にやりませんか。」と誘われましたが、1時間睡眠時間が短くなった事を上手く利用して「朝どうしてもしなければならない事があるので、これで失礼します。」と断わりました。
いつも介護を理由に皆さんより早く帰るのですが、入院中の父がいる事を話したので、きっと多少遅くなってもいいだろうとの思いから誘われたと思いましたが、ごまかして断った感じです。
睡眠時間を削って忙しく働いているようなイメージを相手に持たせてしまいました。・・・・「みんなのために一生懸命に働く人」
一瞬はっとしましたが、何も言えませんでした。
働くわけではなく、朝の習慣を壊したくないだけですが、これを理由に断る事ができませんでした。
朝の習慣を説明することやこの習慣の価値を理解してもらうのが面倒なことがあり、違っていてもまあいいかなと思ったからです。
一瞬一瞬に湧き上がる思考を制御できずに振り回されている感じがします。
ごまかし、自分を美化し、誇張したがるのはなぜか探ってみたくなりました。
他人からよく見られたい
他人に認めてもらいたい
その場を上手く切り抜けたい
こんな事を心のちょっと深いところで思っていて、それが言葉になって出ている感じがします。
なぜ、そのような思考が働くのだろうともう少し深いところを探ってみました。
「安心感」
が現れました。
どうも、これ以上中に入ってきてもらいたくない自分がいるようです。
理解してもらいたい自分もありながら、それとは真逆の自分です。
美化して誇張するのは、この両者の折り合いをつけているのかもしれません。
何となく、切ない気持ちが湧き上がってきました。
でも、「一瞬はっとした自分」もいます。
このままではよくないとと気づかせてくれる自分です。
美化して誇張することよりも、よりよい対応を生み出すことができれば、「はっとした自分」を生かすことができます。
人を信じ切れない疑い深い自分が、侵入を拒んでいます。
ここを探るには、少々時間が必要です。
今回は、美化して誇張する自分を「悪」とせず、理解できたので、「ごまかす自分」と、もう少し一緒にいたいと思いました。
折り合いをつけながら、一生懸命に私を生かしてくれていた事に感謝、感謝。