怒りのエネルギーの使い方
準備不足の不安を抱きながら防災訓練に臨みました。きっと滞ることがあるだろうと思い、準備の時間を考えて、集合時間よりも早めに会場に向かい、準備を始めました。
誰もいない会場で一人で準備を始めました。
いつもなら、事前にプロジェクターの位置を決め、印をつけておくのですが、それができていません。
プロジェクターの位置や高さの調整を始めましたが、事前に想定していなかった太陽の日差しの強さのためカーテンを閉める作業が加わったり、入力したはずのデータが見つからず、家までデータを取りに帰る事になったりと、不測の事態が起こりました。
不思議な事に、家に取りに行った外付けハードディスクが微妙な高さ調整に役立ったり、カーテンを閉める作業を手伝ってくださる人が現れたり、時間内に準備が出来ました。
その後、他の人の分担場所でも、同様に機材の位置確認を不足や参加者への対応不足で滞ることがあり、その対応で駆け回る事になりました。
これまでならば、「事前に話し合いをしておけば、このような事態を防げたのに」とか、「確認作業や連絡を怠る何て許せない。」とか、自分や他人を責め、「今日は、失敗だった」と結論付けてしまいます。
しかし、滞る事はあっても失敗とは思いませんでした。
そして、
・行事の成功を強く願っていると必ず、助けが現れること
・全ての責任を負う気持ちがあると他人の失敗でも素直に謝罪することができること
・準備一つについても、人によってかなりとらえ方が異なること
・意識の違いが、行動の違いになること
など、多くのことを学ぶことができました。
私にとって、「準備を完璧にしないと失敗する」という思い込みが崩れた瞬間でした。
準備不足だから失敗があっても仕方ないと思えたことで、心にゆとりが生まれ、失敗を学びに変えることができたのだと思います。
これまた不思議な事に、当初の予定した時間通りに事が進み、防災訓練を終えることができました。
そして、「無事に終わって、よかったね。」と笑顔で、仲間に声をかけることができました。
<結論>
失敗が学びの場になれば失敗はない。失敗は思い込み
〜失敗を認める心のゆとりが、学びを生む〜
充実した時間を過ごすことができました。