自分軸がぶれる
テレビや新聞での報道を見ていると、子どもたちによる犯罪が近年増加し、悪質化しているように感じます。
このように感じるのは私だけでしょうか。
その原因の一つは、子どもが育つ環境にあるのではないかと考えています。
子どもは、与えられた刺激によって育ちます。その刺激の質が子どもの質になります。
私たちが生きている今の社会を考えると、とても変化が激しく、変化に取り残されないようについていくのがやっとという感じではないでしょうか。
経済格差が広がり、より多くの収入を得、豊かな生活を求め、共働きの家庭が増えています。
その結果、子どもと関わる時間が減っています。そればかりか、子どもを見ることよりも仕事への関心が強くなり、子育てについて、他人の手に委ねている家庭も多くなっています。
子どもを預けたり、塾に通わせたりしている家庭は年々増えています。
そのため、子どもと関わりをもつ時間がとても少なくなっています。
また、一緒にいても、子どもが、テレビやゲームにかける時間が増え、子どもと関わる時間が少なくなっています。
そのため、子どもたちが生きていく上で役立つ「我が家の価値観」が育ちにくくなっています。
「我が家の価値観」が育たないと、子どもは目の前に起きる出来事に対して、損得、勝ち負け、好き嫌いなど低次欲求で動いてしまいます。
(マズローの欲求の5段階説から、人は、低次欲求を満たすことからしか動かないため、当然と言えば当然です。)
つまり、刹那的な対応しかできない子どもになっていくということです。
例えば、すぐに怒ったり、泣いたり、人に八つ当たり、時には力に訴えたりして、感情を吐き出すことになります。
「我が家の価値観」が育つと子どもは、多少の苦しさにも耐えうるだけの忍耐力を身につけることができます。
預かりや塾などは、それぞれの家庭に合った支援をしてくれるわけではありません。
それぞれの目的に合った支援をします。
(働く親にとって、預かってもらえるだけでありがたいという思いがあり、子育てへの思いを伝えることはなかなかできません。)
事件が起きるとその家庭の問題として取り上げられることが多いのですが、個々の家庭の問題として扱うことができない大きな問題が、背景にあるように感じます。
事件は、どの家庭でも起こりうるが、たまたまその家庭で起きたと考えることができます。
言い換えると、今の社会が抱えている問題が、子どもに降りかかっていると言っても過言ではないと思います。
ですから、子どもはその社会の犠牲者のように映ります。
夢を語りにくい時代、ゆとりをもって子育てができない時代・・・・・子どもが夢をもって生きることが難しい時代です。
社会も子どもの育つ環境を作っていると考えると、責任を取らなければなりません。
しかし、今の社会は、責任をとれと言っても取りにくい社会だと思います。
そのため、すべてが親の肩にのしかかっています。
「時間がないから」「お金がないから」などの言い訳は通用しません。なければ、ないなりの関わり方を考えるしかありません。
社会のせいにすることは、できません。愛するわが子がその社会の犠牲者になっては大変です。
今、私たちができることは、何でしょう。
心は時間とは無関係です。もちろんお金とも無関係です。
私たちは、子どもにどんな心で接し、どんな心を大切にしているかを伝えることしかできないのではないかと思います。
どんな形であろうとも、短い時間の中で、お金が少ないなかで、いかに効果的に子どもに心を伝えていくかを真剣に考えなければなりません。
他人事ではありません。事件は、誰にでも起こりうるのが今の社会です。
他人事にしないで、「今、子どもが危ない」と危機感をもち、目の前の子どもたちを支えることが重要です。
私たち一人ひとりが次代を担う子どもたちとどのように関わればよいのでしょう?
次代を子どもたちに託す側として、真剣に向き合いたいと思います。