ひきこもり現象の理解なくして解決は成し得ず
親たちに届けたい当事者たちの生の声
私が講演や講座で心がけていることは、
かねて関わっている青少年たちの生の声を伝えることです。
そういう意味では、すべてが体験していることばかりです。
私自身三人の娘がおりますので、彼らから聞かされる内容は、
身につまされる思いでいつもいました。
この子達が味わったことを、娘たちに同じように味わせることを
していなかったかと心配になることも度々ありました。
それほど、親が気づかないところで
子どもたちにダメージを与えていることがあるのです。
欲求階層論から見えてくるもの
相談や質問などで「子どもたちの心が見えない」とは、
しょっちゅう聞かれることです。
しかし、子どもたちはハッキリ伝えてくれています。
「認めてほしいだけです」と。
マスローの欲求階層論というものがあります。
人は食欲や性欲といった「生理的欲求」が満たされて、
恐怖や不安からの自由「安全欲求」を満たそうとし、
安全が確保された段階で自分の居場所を求める
「所属と愛の欲求」が生じ、
そして次に周囲から評価してほしいという「承認欲求」を
充足させようとします。
欲求階層論については、無料レポートに詳しくありますので、
是非ご購読ください。
不登校やひきこもりの青年たちは、
生理的欲求こそ満たされてはいますが、幼年期に安全を脅かされ、
学生でもない、社会人でもない無所属派となり、
疎外感を感じながら周囲の評価に怯えています。
家庭にも居場所を失った子どもたちには、安全な帰る場所が必要です。
そしてそこでは、ありのままを認めてあげる環境が求められます。
「褒めて育てる」とよく言いますが、褒め言葉はなかなか難しいものです。
だったら認めてあげましょう。
承認とは「期待」と「信頼」です。
物事を頼み、任せ、尋ねることをすれば、
わが子への期待と信頼が伝わります。
何よりもわが子に「ありがとう」が言えます。
「ありがとう」は相手への絶対肯定の言葉です。
「ありがとう」を言われなれている子どもたちは、
「自分は必要とされている」「自分には価値がある」
という健全な自尊心が身につきます。
逆に「ありがとう」を言われずにきた子どもたちは、
何に対しても自信をもてないでいます。
承認欲求が充たされぬ痛み
子どもたちが求める「期待」と「信頼」は
あるがままに期待してもらいたい、そのままで信頼してほしい
ということです。
子ども達が承認をどれだけ求めているかは、
自分自身がわが子にどれだけそれを求めているのかを
考えてみるとわかるでしょう。
親として信用してほしい。
親を頼ってほしい。
でもわが子は、「親なんかあてにしていない!」
「いつも裏切られるから信用できない!」
「どうせ信じてくれないから!」
と嘆きます。
その言葉に、どれだけ親としての自尊心を打ち砕かれたことか。
「どうして親の気持ちを分かってくれないのか・・・」
子どもたちは、同じ思いを経験してきたのです。
身を挺して訴える「わかってください」
わが子の心が見えるためには、見えないものを観る目が必要です。
子どもの行為、行動の裏にあるものを観察、洞察する目です。
見えているものだけで、判断していませんか?
「学校に行きなさい!」
「とっとと働きなさい!」
「ダラダラするなっ!」
子どもたちは言います。
「なぜ気づいてくれないのっ!」
気づきは発見です。
行為に隠された意味を読み取る感性です。
感情に共鳴し実感することです。
「愛」の反対は“無関心”
ありのままを認めてあげるひとつのやり方をご紹介しましょう。
子どもが考えたり、意思表示をしたり、何かに取り組んだ時、
「スゴーイ!」
「さすがだね~」
「すばらしい!」
「なるほど~っ!」
「こりゃ、おどろいた!」
「いやぁ、勉強になったよ!」
などの言葉をかけてあげてください。
感心できる感性が大切なのです。
考えずに感じてみてください。



