変化への怖れが固定化を招く
1.「問題」にどのような姿勢・態度で臨むか~対処の責任
当協会の支援法の最大の特徴は、自助力と受援力を養成することです。
そのためにも痛みからの学びPTG(Post Traumatic Growth)〈トラウマによる成長〉
という視点を最も重要な基盤としています。
人は、ひとつの器です。その器に何を盛っていくか。
「生きる」ということを眺めたとき、「苦を盛る器」と言えるでしょう。
「苦」とは、思うようにならない状態のことです。
ですから、常に浄化し、楽しみ喜びを盛っていく必要があります。
いかなる事が起こっても、そこにどう対処していくか、どのような姿勢、態度で
臨むかは自身の責任において選択していかなければなりません。
それにより、事態のその後の方向性が大きく変化していきます。
親にとって、わが子に起こるアクシデントは、自分のこと以上に痛みを伴うものです。
いじめ、非行、家庭内暴力、不登校、ひきこもり、ニート。
いずれも「なぜわが子なのか?」といった苦悩を抱えます。
身悶えするほどの悲しみです。
しかし、この痛みこそが自身の成長、自助力をそなえる糧になることがあるのです。
2.痛みから学ぶ姿勢は財産となる
PTGとは、苦しみや精神的なもがきの中から人間としての成長を経験させられること
を意味します。
出来事に対する自分なりの精神的なもがきというプロセスが成長に関係するのです。
痛みから学ぶ姿勢があれば、その体験は大きな財産となります。
実際にこれまで、当協会が支援してきた家庭では、親子の葛藤を全身全霊で乗り越えて
きた家族の間にそれまで以上の深い固い絆が生まれています。
親子が真正面から向き合い、語り合うことで、互いが見過ごしていたものに気づくことが
でき、互いが分かり合うことができるのです。
その光景は、心を揺さぶられる感動です。
トラウマティック・グロウスの瞬間です。
3.人生に責任をもった者だけが幸せを手にする
以前、あるテレビ番組で生まれながらの全盲の少年が、「目が見えなかったことが
今では幸福だと思えます」ということを両親に告げているのがありました。
この言葉にどれだけこの両親は救われたことでしょう。
幼いころに「なぜ僕はママの顔を見ることができないの?」と尋ねられ、言葉を失った
こともあったそうです。
なぜ「幸福だ」と思えたかと言うと、「目が見えなかったことで多くの人と出会い、
多くの人に支えられたから」と言っていました。
当協会へ通ってきているある青年も言いました。
「ウツになってよかった。自分を振り返り、みつめることができたから」と。
現実から目をそらさず、自分の人生に責任をもった者だけが、幸福を手に入れられます。
痛みからの学びの実現のためには、「おかげさま」の精神で過信・慢心(驕り、高ぶり)
を抑え、感謝はしてもそこに甘んじることなく、完成を求めず、成長・上達を志すことです。
自分の中に様々なものを培っていくことが成長です。
「培う」という言葉は、「土養(か)う」と書いていたそうです。
植物を育てていくように、じっくり時間をかけて養っていくのです。
4.慢心を抑え事実に対して謙虚に向き合う
人生から問いかけられているものに気づき目覚めていくことで、痛みも恵みと受け止め
られるようになっていきます。
真清水が、長い年月大地にろ過されて湧きいずるように、苦を浄化していきましょう。
そして泉は、下へ下へと流れていきます。
『俺が俺がの我を捨てて、お蔭、おかげの下で生きよ』