有害な救済Ⅰ~理解のないままの支援が長期化を招く

中光雅紀

中光雅紀

テーマ:解決のための視点

不登校、ひきこもりと、いずれもいっこうに減る気配が見られません。
学校恐怖症と言われていた時代から、登校拒否、不登校に至るまでの間に、スクール
カウンセラーが配備されたり、適応指導教室といった場所まで設けられましたが、不登校
で終わらず、そのまま引きこもりにつながってしまったり、ひきこもりも、全国に支援
センターといった相談窓口が常設されたり、全国規模の家族会なども運営されているにも
関わらず、「8050問題」と言われるような長期化がどんどん進行していっています。
なぜこのような事態になっているのでしょうか?

不登校は、登校刺激を加えてはかえって悪化してしまうということから、刺激は加えない
方がいいといった対策の変遷がありました。
ひきこもりは、就労を促すことは当事者の状況に合っておらず、さらにプレッシャーを
与えてしまうということがようやく分かってきたのか、最近は、生き方を尊重するような
支援が必要だといったような傾向に変わってきているようです。

良かれと思ってやっていることの中にも、問題を見誤ったことからかえって事態を混乱
させてしまうことがあります。
改善の結果が出ていなければ、一旦手を止めこれまでを見直すという謙虚さが必要です。
必ず何かが違っているのですから。

本人の希望にそってあげることが解決につながるわけではない

ここで、よくあるパターンとしての「有害な救済策」をいくつかご紹介してみたいと
思います。

先ず、当事者本人の目線に降りて考えることは何より大切なのですが、何でも過ぎて
しまうことは、足りないよりもかえってマイナスです。
「過ぎたるは、及ばざるより劣る」です。
そのパターンが、本人の意思を尊重し過ぎ、信じ過ぎることです。

本人は、行動の選択肢を持ちあわせておらず、決断力や実行力がありません。
だから、ひきこもったのですから。
選択肢を持ちあわせていない状態で、いくら動き出すのを待っても動けるはずもありま
せん。
決心覚悟もできないでいる状態なのですから。

また、行動の判断が、快、不快での判断です。
つまり、不快なことは一切しません。少しでも心に負荷のかかることはしないのです。
快感・快楽だけを求めて、ゲームなどに興じるのです。
必要性の判断ができなくなっています。
もっと言うと「思考停止状態」です。
考えると思い煩い、気持ちがなえるからです。
直視恐怖の状態ですから、現実から意識をそらします。

わが子の現状を知らなければ、信じて待つことが仇になる

「現状に満足しているのか?」と疑問をもたれると思うのですが、もちろん満足なんか
していません。できようはずもありません。
ではなぜ動かないのか? 
現状への不満よりも、改善のための取り組みに対しての不安の方が大きく、挑戦するのが
怖いからです。
失敗の可能性に怯えるくらいなら、現状の方がまだましということです。

これらが、自分の人生に責任がもてず「あなたまかせ」「人頼り」の姿勢の依存的生き方
であるひきこもりです。
だからこそ「信じて見守りましょう」の助言が呪いの呪文として、長期化を招いている
ことに、そろそろ周りも気づいてほしいものです。

不安、痛みをわが子の立場になって理解する

ひきこもり(不登校)者たちの多くは、不安を訴えます。
例えば人(の視線)。だから外出を控えるわけです。
恥辱感や後ろめたさから、人前に自分の身を晒すことができなくなっています。

そう感じている本人に、「大丈夫!気にしなければいい」と言っていることが見受けられ
ますが、これはとても無責任です。
励ましているつもりでしょうが、不安を感じているのは事実であって、「気にしなければ」
と言われても気になってしまうのです。
それが出来るくらいなら悩んでいません。
「そう感じることは、間違っている」というメッセージを送っていることになるのです。
「あなたおかしいよ」(と言わないまでも)と否定されて、そんな人を信頼しますか?
なぜそこまで敏感になってしまっているのか、そう感じてしまうのかを理解してあげる
ことこそ必要なのです。

よくあるこんな促しも禁句!

笑顔もなく、いつも不機嫌そうな表情でいられますと、おもわず「やりたいことを探し
なさい」と声をかけてしまいがちですが、この言葉かけも不適切です。
この言葉かけの意図は、「やりたいことが見つかれば動き出せるだろう」というものです
が、ひきこもり(不登校)現象は、単にやる気の有る無しの問題ではありません。
うかつに「やりたいこと」なんて言おうものなら、「だからゲームやってる」と返されて
しまいます。

ひきこもり(不登校)者たちは、自分の欲求を自覚できない状態にあります。
自覚できているのは、食欲や睡眠欲くらいでしょう。
熱中できるほどのやりたいことがあれば、そもそもひきこもっていません。
なぜ欲求を自覚できないのか。
それは、欲求を押し殺してきたからです。
求めて叶わぬことは辛いですね。
ですから、はじめから「求めまい」という生き方になってしまっているのです。

これまで育ってきた環境で、求めてもそれを挫かれる、他の(特に親)思惑によって動かさ
れる(従わされる)ことが少なくなかったのです。
そうなると、人は好奇心や向上心も抑えられ、自己の欲求が見えなくなります。
その状態のわが子に、「やりたいことを探しなさい」は、かえって酷なことなのです。

やりたいことの前にやるべきこととは?

先にも述べましたように、行動の判断が快・不快になってしまっています。
「やりたいこと」もまさに好き嫌いですから、それを求めさせても同じです。
必要性として、「やるべきこと」を考えさせることが大切です。
もちろん、やるべきことは、登校することでも、働くことでもありません。
その前にやるべきことが沢山あります。

自堕落で不衛生な生活になっていませんか?
親子のコミュニケーションは取れていますか?
なぜ出来ていないのですか?

それらが出来なくなってしまっている原因の改善、解消、解決が、最優先で行っていく
「やるべきこと」なのです。

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中光雅紀
専門家

中光雅紀(不登校・ひきこもり支援者(家族心理教育コンサルタント))

NPO法人地球家族エコロジー協会

トラウマの視点からひきこもりの原因を見える化していくアプローチを行い、そのもがきのプロセスから人間としての成長を果たし、ひきこもりから脱却。新しい自分に生まれ変わるような変化をサポートしていきます。

中光雅紀プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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