引きこもりへの全く見当違いの対応が、ますます長期化を招く
私たち大人は、ともするともう子どもではもちろんないので、育ちあがったかのように
思ってしまいがちですが、しかしそんなことはありませんよね。
人としての成長、人格の陶冶は臨終を迎えるまで、続きます。
親という立場も同じです。
親もまた、子どもの発達段階に応じて、発達していく「存在」です。
〈親になる〉ことよりも〈親である〉〈親をする〉ことの方が難しいと言われます。
子を産めば、自動的に親にはなります。
ですが、〈親である〉〈親をする〉というのは、その役目、役割を実行してこそです。
わが子はいくつになっても、自身の子どもであることは変わりません。
ですから、子どもの成長、発達に合わせ、親もまた発達していく必要があるのです。
現状のわが子の問題を解決していくためには、子どもの育て直しが必要です。
それは同時に、親自身もわが子と共に成長していかなければならないということです。
子育ての機会は、それを通して自身が成長できる自己研鑽のまたとない機会です。
わが子の声にしっかりと耳を傾け、対峙していくことでこそ解決へ向かいます。
そのことを怠り、避けているかぎり、現状の改善は見込めないのです。
わが子からの訴え(気づき)に感謝することで、あるがままを受け入れられるようになります。
わが子からの指摘は成長の機会を与えられること
わが子からの声にショックや時に嫌悪感を示す親御さんもおられます。
ですが冷静に考えてみてください。
子どもは言わば、改善点を教えてくれているわけです。
改善点ですから、改めることで当然今より良くなっていくということです。
わが子のためだけに良くなっていくというわけではなく、自分自身にとってもより良い
生き方になっていけるということです。
「自分の意志を無視せず確認してほしかった」
「頑張りを認めてほしかった」と、例えば子どもから言われたら、これからそうしていく
ことは、親の自分にとっても確実により良い人生になっていきます。
そのことに何の不満があるのでしょうか?
親の教育力に必要な「観る力」
親としての役割を果たしていくために、特にわが子を育てていくにあたっての教育力の
核になることは、「観る力」です。
子どもが豊かにもっている育つ力を尊重し、子の個性、特徴やそのときの状態に的確に
応じた対応(応答性)をしていく必要があります。
この応答性は、愛着の形成のためにも重要なことです。
応答的であるためには、子どもをより知るために、よく観ること。
変化を見逃さないことです。
観るではなく、見るにとどまっていますと、心ここにあらずで、変化に気づきません。
〈観る〉は、観察、洞察することです。
子どもは、様々なシグナルを送ってきます。
それに気づかなければ、子どもは落胆し、自己解決しなければならなくなります。
自力の及ばぬ問題を抱えていれば、当然成すすべもなく倒れこみます。
子どもの求めに適切に応答しなければ、理解してもらえない絶望感に子どもは打ちひし
がれ、同時にそんな自分の存在に価値を見出せなくなります。
自分を分かってくれているという安心感と信頼感が自尊心や自己信頼感を子どもの中に
育てるのです。
私が親の理想像として紹介しているのが、「十一面千手千眼観世音菩薩」さまです。
京都の三十三間堂の千体仏で有名ですね。
千の手にはそれぞれに眼があります。
十一の尊顔は、微笑んだ顔や怒った顔、厳しい顔というように、様々な表情で教え導き
ます。
慈悲の心で縦横無尽に手を差し伸べ、様々な視点からの智慧で加護を与えて頂けます。
このような観音さまの姿勢で、わが子を育てていきたいものです。
親が成長しなければならない四つの理由
親自身の成長が何のために必要かと言いますと、
先ず、事態を受容できるためです。
わが身(人生)に起こっていることですので、自分自身の問題として責任もって引き受け
なければなりません。
人ごと、わが子任せにしないことです。
そして、覚悟ができるため。
わが子が社会へ参加する覚悟がしっかりできるように、親もまた決心覚悟して解決に
取り組まなければなりません。
親からのはたらきかけに対して、背中を向けすぐに動き出さないのは当たり前のことです。
思うようにならないからと、すぐに行動を止めてしまうようでは、解決はほど遠いです。
覚悟が足りません。
そして、事実に対して謙虚になれるため。
事実が物語っていることに言い訳をすれば、責任転嫁になってしまいます。
どんなに良かれと思い一生懸命育ててきたとしても、事実わが子が動けなくなって
しまっています。
わが子からの訴えには言い訳せず、真摯に向き合うべきです。
そして、向上心。
これは成長するためには当然なければならぬものですね。
自己成長の手本をわが子に示すことができなければ、わが子に成長を促すことはできません。
親の成長無くして、ひきこもり(不登校)が解決することは無いのです。
成長するためには、学びを継続していくしかありません。
私たちは、常に発展途上という自覚が必要です。
人間として、親として成熟し、完成されて親になっているわけではないのですから。
わが子に示したことが、すべて間違いのないものと信じているとすれば、驕り、慢心以外
の何ものでもありません。
完成を目指すのではなく、終わりなき成長を目指しましょう。