自分は成果を手に入れる人ですか?

評価は、能力の証明ではない。
同じ人でも、
場所が変わればラベルは簡単に反転する。
日本では「強すぎる」
海外では「もっとハッキリ」
そして本人は「どうせえぇって言うんじゃ」状態に陥る。
そんな海外経験者の話を、今日は少し。
目次
産業カウンセリングをしていると、
人の心よりも、組織のほうがよほど気まぐれだと思う。
不思議な事例はいくらでも出てくる。
検証と分析には事欠かない。
その中でも、最近いちばん興味深いのが
増えてきた「海外経験者」
日本では「強すぎる」と言われる
日本企業で働くと、こう言われる。
ちょっと強すぎるよね
圧がある
パワハラ受けてます
え、あの人が?
論理的で、スピード感があって、
曖昧な指示を嫌い、
結論から話す。
…それだけで“強い人”扱い。
海外では「もっとハッキリして」と言われる
ところが、海外で働くと評価は逆転。
もっと自己主張して
あなた何を考えてるの?
リアクション薄いよ?
もっとハッキリ意見を言ってよ
同じ人なのに。
日本では“強すぎる”。
海外では“静かすぎる”。
環境が変わるだけで、
評価はここまでひっくり返る。
同じ人なのに、評価が真逆になる
組織の評価は、実力ではなく“空気”で決まる
ここが興味深い。
能力は変わっていない。
人格も変わっていない。
変わったのは基準のほう。
組織というのは、
その場の“平均値”からズレた人を
勝手にラベリングする。
日本では「前に出る人」は目立ちすぎる。
海外では「前に出ない人」は存在しない扱い。
つまり――
評価とは、実力の通知表ではなく、
環境との相対ポジションにすぎない。
自己肯定感は高いのに劣等感が強い
さらに不思議なのは、もう一つの共通点がある。
それは、海外経験がある人ほど、
自己肯定感は高いが劣等感が強い
という、矛盾を抱えている。
世間知らずだったころの私だったら「あり得ないよねぇ」と思うだろう。
だけど、時代も変わり、育ち方も教えられるものもガラリと変わった。
だからこそ、
「自己肯定感と劣等感は乖離して共存するんだなぁ。」
と、一人で納得できる機会も増える。
…とはいえ、こういった経験があるからこそ言えるお話でして。
そんな深いことに気が付いたのは有難かったですけどね。
話を本題に戻すと。
海外経験者は、
日本企業に入る前から
「自分は仕事ができるのか?」と悩んでいる。
海外に行けば行ったで
周りのレベルの高さに萎縮する。
比較する基準が数万人単位である私としては、
本当に優秀だと感じる。
いや、本当に優秀。
就職率は高い。
自発的行動も素晴らしい。
実績も比較できないほどの強みがある。
そして決断も早いので転職率も高い。
明らかに“できる人”。
でも本人だけが、
ずっと納得していない。
自己不満足状態を更新中。
「できる人」ほど、なぜ満足しないのか
私の仮説はこうだと考えている。
海外に出る人は、
もともと“基準値”が高い。
自分の中にグローバルスタンダードという、
「世界共通レベル」の物差しを持ってしまった人。
だから日本で評価されても、
「いや、これって世界基準じゃ通用しないし」となる。
とはいえ、海外で評価されたとしても、
これまでとは違う秀でた能力を持つ人たちと関わる。
そうなると「いや、上にはもっとすごい人いるし」となる。
自己肯定感が高いのは、
挑戦してきた自分を知っているから。
劣等感が強いのは、
上を見続ける癖が抜けないからではないだろうか。
本当に怖いのは、自分の現在地が分からなくなること
というところで、問題は能力じゃない。
「自分の現在地が分からなくなること」だと私は思う。
どこに行っても、
ちょっとズレる。
ちょっと浮く。
ちょっと合わない。
その違和感が、
静かに自信を削っていく。
あなたは今、どの基準で自分を測っている?
あなたの評価は、本当に“あなた”の評価?
もし今、
自分は強すぎるのかな
自分は足りないのかな
そう思っているなら。
それ、本当にあなたの問題?
もしかしたら、その環境の平均値との誤差じゃない?
組織はラベルを貼る。
でもラベルは真実じゃない。
同じ人でも、
場所が変われば“問題児”にも“エース”にもなる。
だからまずは、
「自分がズレている」と決めつけなくていい。
そしてもしあなたが、
世界を知ってしまった人なら。
その満たされなさは、欠陥じゃない。
見てきた景色の分だけ、基準が上がっているだけ。
だとしたら――
あなたは今、どの基準で自分を測っている?



