この世界知らんことだらけ:Vol.7カタツムリは歯が2万本。しかも全部使ってる

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
今週ご紹介するのは――
北九州市が生んだソプラノ歌手、長門美保(ながと みほ/1911年〜1994年)です。
オペラは、遠い世界のものだった
今でこそオペラやミュージカルは身近。
ですが、戦前から戦後にかけて、
オペラは“都会の限られた人の芸術”でした。
しかも西洋音楽。
特別な人が、特別な場所で楽しむもの。
地方出身の女性が、その世界で主役を張る――
簡単な時代ではありません。
それでも長門美保は、舞台に立ち続けました。
長門美保 の生い立ち
1911年、福岡県若松市(現・北九州市若松区)に生まれています。
3歳で家族とともにドイツへ渡り、幼少期を現地で過ごしました。
帰国後、日本女子大学校附属高等女学校を経て東京音楽学校へ進学。
在学中にはマーラー《交響曲第2番》のソリストを務めるなど才能を発揮。
1934年、第3回日本音楽コンクール第1位となっています。
そう、福岡に生まれ、ドイツで育ち、日本で磨かれたソプラノだった。
歌うだけでは終わらなかった人
長門美保がすごいのは、ここから。
その後、長門美保歌劇団を結成します。
呼ばれるのを待つのではなく、自分で舞台を作った。
これがどれほど覚悟のいることか。
団員を集め、作品を選び、興行を打つ。
芸術家であると同時に、プロデューサーでもあったのです。
「ミカド」を届けた意味
代表的な演目のひとつが「ミカド」
イギリス生まれの、日本を舞台にしたオペレッタ。
西洋が描いた“日本”を、日本人が日本で上演する。
その構図の中で、日本人が西洋音楽をどう受け止めるか。
そして、どのように自分たちのものにしていくのか。
その挑戦を、地方から始めたのです。
福岡が誇れる文化の土壌をつくった人
長門美保は、
「有名になった福岡出身者」ではありません。
長門美保は――
文化の土壌をつくった人です。
スターを生むのは一瞬。
けれど、文化を根づかせるには時間がかかる。
地方にオペラの舞台を広げ、
“特別な芸術”を“届く芸術”に変えた。
それは、静かな力強い革命ではないでしょうか?
自分の力で周囲を巻き込み、棘の道を切り開いていくようなものですから。
文化は、誰かの覚悟で続いている
歌声は、消えます。
舞台も、幕が下りれば終わります。
時として、もみ消されることもある。
でも――
「続ける」と決めた人がいるから、
文化は消えずに残る。
長門美保は、続けることを選んだ人。
福岡には、こういう静かな強さを持った人がいる。
それは、誇っていい。
凄い人だったと今では言われたとしても、
当時は反対・批判・中傷など心ない向かい風も多かったことでしょう。
でも確かに、日本の舞台史の一角を支えた人です。
福岡は、
歌を残した人だけでなく、
舞台そのものを残した人も生んでいるのです。
さぁ、来週はどの福岡の偉人にしようかな。
福岡には、まだ語られていない物語が眠っています。
また金曜日に。



