既読一発で脳がフル稼働する不思議な現象

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、福岡県大川市出身の作曲家。
古賀政男(こが まさお/1904年〜1978年)
「古賀メロディー」と呼ばれた旋律で、
昭和という時代を支えた人物のお話です。
残りやすい仕事、染み込む仕事
世の中には、分かりやすく評価される仕事があります。
大ヒット。
社会現象。
時代を象徴する出来事。
そうしたものは、歴史として記録されやすい。
一方で、
人の暮らしの中に溶け込み、
いつの間にか当たり前の存在になった仕事は、
語られにくい。
古賀政男の音楽は、まさに後者でした。
音楽という仕事場
古賀政男の主な仕事場は、譜面と向き合う静かな場所でした。
旋律で、感情を表現する。
言葉にならない想いを、音にする。
「酒は涙か溜息か」
「影を慕いて」
「丘を越えて」
それらの曲は、
特別な場面だけでなく、
日常の中で人の心に寄り添い続けました。
「古賀メロディー」が生まれた背景
古賀政男の旋律には、どこか懐かしさがあります。
哀愁。
郷愁。
人生の影と光。
それは、
日本人が昔から抱いてきた感情を
丁寧にすくい取った音楽でした。
気づけば人々は、
その旋律を口ずさみ、
それを「古賀メロディー」と呼ぶようになります。
一人の作曲家の積み重ねが、
やがて一つの音楽様式として
名前を持った瞬間でした。
時代を越えて残ったもの
戦前、戦中、戦後。
社会の形が大きく変わる中で、
古賀政男は音楽を作り続けました。
流行を追いかけるためではなく、
人の心に届く音楽を残すために。
その結果、
彼の作品は時代が変わっても歌われ、
昭和歌謡、そして演歌の礎として
今も生き続けています。
古賀政男の仕事の向き合い方
古賀政男は、自分が担うべき役割を理解していた作曲家。
人の心に残る旋律とは何か。
それを考え続け、一つひとつの作品に向き合った。
その積み重ねによって生まれた音楽は、
世代を越えて歌い継がれるものになりました。
「古賀メロディー」と呼ばれる旋律は、
偶然生まれたものではありません。
長い時間をかけて積み上げた仕事が、
自然に評価として形になったものです。
編集後記
誰かの人生を見て、
正解を探すことはできません。
けれど、
どんな形の仕事が
長く人の心に残るのかを知ることはできます。
福岡・大川から生まれ、
昭和という時代に寄り添った音楽。
古賀政男という作曲家の歩みは、
確かな仕事の価値を、
今も私たちに伝えています。



