急にハイスペックで予定入れまくる理由、ぜんぶ脳のせいだった

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、筑豊・福智町出身の作曲家、
河村光陽(かわむら こうよう/1897年〜1946年)のお話です。
世に語り継がれる歌を作った作曲家の河村光陽をご存じですか?
作曲家の名前よりも、幼少期に口ずさんだメロディー。
題名や歌を聴くとわかる方も多いはず。
「うれしいひなまつり」
「かもめの水兵さん」
歌を口にした瞬間、自分の記憶が先に動き出す。
そんな唄を残した人です。
歌を「聴くもの」にしなかった人
河村光陽の唄を思い出すとき、
私たちは、誰かが歌っている姿を眺めてはいません。
気づくと、自分が歌っている。
何かの思い出がよみがえる。
例えば、ひなまつりの日。
少し照れながら、
家の中で声を出していた自分。
「かもめの水兵さん」もそうです。
立派な水兵を見ている歌ではない。
気づけば、自分がその水兵になっている。
河村光陽の唄。
それは、自分自身が想い出を重ね、歌の主人公になるものでした。
筑豊で育った「暮らしの感覚」
河村光陽が生まれ育った筑豊は、
特別なことが毎日起きる場所ではありません。
ですが、季節の行事があり、
家族で過ごす時間があり、
小さな「今日はちょっと違う日」がありました。
ひなまつりも、
豪華じゃなくていい。
正解じゃなくていい。
「今日は、うれしい日だね」
それだけで成立する。
河村光陽は、
そういう暮らしの感覚そのものを、
唄に置いた人だったのだと思います。
なぜ、こんな唄が生まれたのか
河村光陽が大切にしていたのは、「どう歌われるか」でした。
・一度で覚えられるか
・説明がなくても情景が浮かぶか
・歌った人が、主役になれるか
歌う人が変われば、唄の景色も変わる。
そんな考え方が、唄の隅々にまで流れています。
唄の中には、席順がない
河村光陽の唄には、
上手い人の席も、
選ばれた人の席もありません。
歌った人が、そのまま真ん中に立つ。
だからこの唄は、
家庭ごとに、
時代ごとに、
違う形で生き続けているのではないでしょうか。
記事を読んでいるあなたへ
記事を読んでいるあなたは自分の人生をどう考えていますか?
どこか「外から見ている」ような感覚があるなら。
それは、あなたが主役に戻れる場所として考えていないのかもしれません。
河村光陽の唄をうたった時のように、自分が主役になるのには誰の許可も必要ない。
あなたの人生の主役はあなた自身です。
編集後記
産業カウンセリングの現場で、
「私の話なんて…」
と口にする人は少なくありません。
ですが、河村光陽の唄がそうであるように、
自分が主役になることは簡単。
そして、何かになるための資格などは存在していません。
誰の許可なく、自分が自分の人生の主役なんですもの。
話し始めた瞬間、その時間の主人公は、あなたです。
この土地で生まれ、
この土地で生き、
時代を支えてきた人たちの唄が、
今も私たちの中に残っている。
それは、
私たち自身もまた、
ここから続く物語の一部だという証です。
顔を上げて進む理由は、あなたの足元にすべて揃っています。



