福岡の偉人:北九州市 推理小説の革新者 松本清張
目次
年賀状は「挨拶した気」になれる神アイテムだった
今年は年賀状をやめた。。。
今思えば、年賀状は、送りっぱなしでよかった。
本音を言うと、
「挨拶したぞ!」という
自己満足100%で成立していた。
とはいえ、それで誰も傷つかない。
誰も怒らない。
誰も深読みしない。
最高だったんじゃない?
年賀状をやめてみてわかったのは、
年賀状は「挨拶した気」になれる神アイテムだったってこと。
デジタル年始、なぜか急に“人間力”を求められる
デジタル年始にしてみようかと思い立ったのはいいけれど、
年賀状をやめた途端、
LINE、DM、SNSが一斉蜂起する。
元旦0時。
鳴り止まない通知音。
未読数、軽くホラー。
しかも全部「1対1」。
定型文?
「コピペ感あるよね」
丁寧すぎ?
「距離あるな…」
フランク?
「取引先にそれ送る?」
挨拶に正解がないレスの地雷満載感。
これまでに必要がなかった“人間力”をがっつりと求められる。
既読がついた瞬間、正月が始まり、気持ちが終わる
年賀状には「時差」があった。
出したら、あとは知らない。
相手がいつ読もうが、
犬が元気だろうが、
去年誰かと別れていようが、
こっちは知りようがない。
でもデジタルは違う。
既読=「はい、今からあなたの番です」
お屠蘇を飲む手が止まる。
餅を喉に詰まらせる前に、気疲れで倒れるか。
経費は減った。でも時間と気苦労は10倍じゃない?
よく言う。
「年賀状やめて効率化」
たしかに
紙代は減った。
切手代も減った。
でも代わりに増えたもの。
・文章を考える時間
・相手別に悩む時間
・既読スルーを恐れる時間
・変な誤解を避ける気遣い
時間、むしろ10倍。
その上、気苦労も数十倍セットじゃない?
年賀状は、フランクな優しさだった
年賀状はラフでフランク。
そして、、、なんだかんだと雑でも良かった。
むしろ雑でいい。
旧年中はお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いします。
・・・手書きコメントを省略して
謹賀新年で終わることもある。
干支と和暦や西暦書いていてもイイ。
それだけで、
人間関係が続いていた。
デジタルはなぜか、
気持ち・温度・誠意まで要求してくる。
正月から重い。
まとめ:私は年賀状を、ちょっと見直した
これまでの人生を振り返ると、
年賀状は送りっぱなしでよかった。
「挨拶したぞ!」の自己満足で完了。
今思うと、
あれは日本人が発明した
最高に平和な手抜き文化だったのかもしれない。
効率化したはずなのに、
なぜ正月だけ人間関係フル稼働なのか。
そんな気持ちになった年はじめ。




