話すのが苦手でも、大丈夫——“聴く”から始まる対話
「自由に生きたい」人の選択肢
自由に生きたいんだよね〜
この言葉、言う人程、率先して不自由を選びがち。
また、この言葉では、
人生で一回も言ったことない人の方が
たぶん少ないとおもいます。
だいたい疲れてるときに出てくる。
月曜の朝とか、
満員電車の中とか、
上司の「ちょっといい?」が今日3回目のときとか。
とはいえ、
この話をよく聞くと矛盾が沢山なのです。
「自由に生きたい」の正体
自由に生きたい人に
「どんな自由?」って聞くと、
返ってくる答えはだいたいこれ。
・朝、起きたくない
・通勤したくない
・怒られたくない
・でも収入は減らしたくない
……うん、自由というより、理想の実家暮らし?
何でも揃ってて、
口出しされなくて、
困ったら誰か助けてくれる場所。
それは自由じゃなくて
環境ガチャでの大当たり。
自由になると不自由が恋しくなる
なぜか「自由」って聞くと、
楽そうなイメージがあるんですよね。
とはいえ、実際はその逆。
自由になると、
・決めるのも自分
・失敗するのも自分
・誰のせいにもできない
これがセットでついてくる。
自由=やりたい放題にのびのびできる
と思ってると、だいたいここで詰む。
本当に自由な人は自由って自覚がない
これもあるあるなんだけど、
本当に自由そうな人ほど
「自由に生きてます!」とか言わない。
普通に忙しそうだし、
普通に悩んでるし、
普通に失敗もしてる。
ただ一つ違うのは、
「まあ、これ自分で選んだしな」
って顔をしているところ。
自由って、
キラキラした状態じゃない。
自立して、自律した状況に多い。
そして、現状は自らの選択肢。
理想に近づけていくことだと腹をくくった状態なのかもしれない。
自由を求める人ほど、実は待っている
「自由に生きたい」と言う人ほど、
なぜかずっと準備中というのも良くある話。
・もう少し貯金ができたら
・成功事例が増えたら
・誰かが先にやって安全そうだったら
とはいえ、自由というものには、「GOサイン」が出ない。
誰も背中を押してくれないし、
許可も降りない。
そこが一番しんどい。
まとめ
そう、自由って目指すものじゃない。
周囲の人が、そう見るから、自由人って判断されているだけのことが多い。
自由に見える本人に関しては、
気づいたら
「あ、これって自由かも」って
後から分かるものであって、
だからもし
「自由に生きたいなあ」って思ったら、
まずは小さくでいいから
自分で決めて、自分で引き受けることを
一個やってみる。
誰にも評価されなくてOK。
失敗してもOK。
それができたら、
たぶんもう前よりちょっと自由。
少なくとも、
「自由に生きたいなあ」って
言いながら動いてない頃よりは。




