福岡の偉人:久留米市 風景版画の先駆者・吉田博

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

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さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。

毎週金曜日のお約束。
今日は、久留米市出身 風景版画の先駆者 吉田博(よしだ ひろし/1876年 - 1950年)
明治から昭和期に活躍し、国内外での評価も高い「日本アルプス十二題」「瀬戸内海集」「富士拾景」などで知られています。

版画家・吉田博の生き方に学ぶ

人生には幾度となく思うように進めない時期があります。
出口の見えない渦の中にいるようで、何をすればいいのかもわからなくなる。
そんなとき、誰かの生き方が、私たちに何かを問いかけてくることがあります。
今回は版画家・吉田博(1876–1950)について書いていきます。

生まれと学び

吉田博は福岡県久留米市に上田束根という武士の次男として生まれました。
15歳のとき、福岡県の中学校の図画教師・吉田嘉三郎に才能を見出され養子となります。
その後、東京美術学校で本格的に絵を学びました。

1893年に笠三郎の元美術教師である田村宗立(1846-1918)に師事するため京都に派遣。
田村宗立は南画の技法を学びましたが、油彩画でよりよく知られていました。

その後、若くしてアメリカやヨーロッパを巡ります。
西洋の技法を吸収しながら、日本の木版画に独自の表現を加えています。

自然と向き合う作品

代表作には「日本アルプス十二題」や「瀬戸内海集」など。
同じ風景を朝・昼・夕・夜と描き分けるシリーズも残されています。

特に「日本アルプス十二題」は、西洋の遠近法や光の表現。
そこに日本の繊細な彫りと摺りの技術を融合させた独自の風景表現を確立。

他にも、「十二題」という連作構成は絵に物語性があるのです。
日本の木版画が浮世絵の枠を超えていることが魅力です。

こういった自然の時間の流れを捉えようとする姿が作品に深みを与えた画風は、国内外で高く評価されました。

喪失と再起

ですがこういったことの陰には立ち直れない出来事もあります。
1923年、関東大震災によって、版木と作品の大半が失われました。

それでも吉田博は、残された数点の作品を抱えて渡米します。
アメリカで再び評価を受け、活動を再開することができました。

喪失の中で吉田博が選んだこと。
それは立ち止まることではなく、前に進み続けることだったのです。

転んでもただでは起きない

震災で作品のほとんどを失っても、吉田博は筆をとり、海を渡りました。
その経験を、絵に活かしたのです。

生きる中で得たものを、すべて絵に変えてきた人。
転んでも何かを掴んで立ち上がる。
それが、吉田博の生き方だったのかもしれません。

絵を描くことは、吉田博にとって「生きること」そのものだった。
だからこそ、何があっても、描き続けられたのではないでしょうか。
…とはいえ、私の心が描いた空想。
今となっては、その真意はわかりません。

編集後記

このコラムを書きながら、「動くこと」の意味を考えていました。
震災で全てを失っても、吉田博は歩みを止めていない。
その姿勢は、苦難の渦中にいる人にとって、ひとつの指針になるように思います。

渦の中にいるときこそ、円を描くように、少しずつでも動いてみる。
それが、やがてご縁となり、調和となり、自分自身を支える力へと変わっていくのかもしれません。
この文章が、今まさに渦の中にいるかもしれない誰かに届いていたらと願います。

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鎌田千穂
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鎌田千穂(産業カウンセラー)

Chi-ho’s studio

組織課題を広い視野で捉え、主体性を持った思考と行動力、公私の均衡を図る自律型人材育成を行うこと。分析・統計による業務改善の解決策を示し、個人の悩みを解き放ち、企業の繁栄に繋げることが専門です。

鎌田千穂プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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