日常をユーモアで彩る!通勤や家事、会議を楽しい冒険に変える方法
誰かの気持ちを先回りして行動する。
それが優しさだと思っていたし、関係を守る方法だと信じて疑わなかった。
言わなくても、わかるよ
きっとこう思ってるんだよね
もう説明はいらないよ、わかってるから
そんなふうに、察することが良いことだと考えていた時期がありました。
ですが、今を振り返ってみると——
その“察し”は、相手のためというよりも
自分の安心のためだったのかもしれません。
今回は、そんな「察する」という行為の奥にある、
“わかってるつもり”の自己満足について書いていきます。
「察する」は、安心したい自分のため?
誰かの気持ちを察すること。
それは、思いやりのように見える。
けれど、こんな動機が隠れているのかもしれません
相手に聞くより、想像して済ませたほうが楽だった
本音を聞いてズレていたら、自分が傷つくのが怖かった
「わかってる自分」でいたほうが、関係が壊れない気がした
…つまり、察することは自分の安心のためだった。
“わかってる自分”でいたいがための、ちょっとした理解ごっこ。
それは、優しさの顔をした自己満足だったのかもしれません。
「わかってるつもり」関係の扉が閉じていた
「言わなくても、わかるよ」と言った瞬間、
相手の口が閉じたように感じたことがありました。
それもそのはず——もう話す余地、ないですもんね。
相手の沈黙を「同意」と決めつける
↓↓
表情の変化を「わかってるよ」と勝手に解釈する
↓↓
ズレたときは「そんなつもりじゃなかったのに…」と自分が傷つく
でも、それ、“そんなつもり”だったのはこちら側の課題だった。
「わかってるつもり」は、相手の言葉を奪うことでもある。
そして、人間関係の扉を閉じられてしまうことでもある。
「わからないまま聞く」って、ちょっと怖くて、すごく誠実
察することをやめて、ちゃんと聞いてみた。
どう感じてる?
わたしの想像と違ってたら、教えて
ちゃんと聞きたいと思ってる
…言った瞬間、ちょっと恥ずかしかった。
“わかってる自分”から降りるのって忘れがち。
だけど、聞いたからこそわかる。
それは、「察する」ときには聞けなかった本音。
思っていたこととは違っていて「ハッ」とするもの。
そしてその言葉が、関係の空気を少し変えてくれた。
「察しない」ことで、関係が育つこともある
察しないことで、相手が話し始める。
察しないことで、自分の思い込みに気づく。
察しないことで、関係が“対話”に戻っていく。
「察する」は、便利だし、優しさにも見える。
とはいえ、本当に優しいのは、
“わかってるふり”や“わかってるつもり”をやめたあとに残る沈黙や対話を、ちゃんと受け止めることも必要だということ。
まとめ
「察する」は、ただの自己満足だったかもしれない。
“わかってるつもり”をやめて、
“わからないまま聞く”ことを選んでみる。
それは、相手の言葉を信じること。
そして、自分の未熟さを引き受けること。
察することを手放したとき、
関係は少しずつ、対話に戻っていく。
人間って不器用。
その中にこそ、本当の優しさがあるのかもしれません。---




