会議で声が大きい人の“本当の心理”とは?
優しくしなきゃと思う気持ちは大事。
だけど、ふと気づくと——
その優しさが、しんどくなっていることがあるもの。
断ったらいけない。
頼まれると断れない。
断ったあとに、罪悪感が残る。
それは、優しさが“役割”になってしまったからかもしれない。
今回は、「優しさがしんどくなるとき」のことを書いていきます。
優しさが“義務”になった瞬間
人には優しくしなきゃ
わたしができることで〇〇を支えなきゃ
ここで冷たくしたら、嫌われるかも
そんなふうに思ってしまうことが続くと、優しさが“義務”になってしまうことも。
そして、相手の期待が最優先になってしまう。
そして気づけば、
「優しくできない自分」を責めてしまう。
“優しくできない日”があってもいい
とはいえ、優しさって、そもそもいつもサクッと出せるものじゃない。
疲れている日もある。
余裕がない日もある。
心配事が重なって心がココにないときもある。
無理をして笑っていつつ「優しくできない自分」を責めてしまう。
ですが、“常に優しい人”である必要はない。
たとえば
- 今日はちょっと余裕がないから、静かに過ごしたい
- 今は自分の気持ちを優先したい
- 相手のことは大切だけど、今は距離を置きたい
こうした選択肢だって実は優しさの一部になるもの。
自分が自分に優しくできてないのに、人にやさしくできるのって無理しかない。
優しさを“選べるもの”に戻す練習
優しさがしんどくなったときは、
まず「優しくしなきゃ」と思っている自分に気づいてみる。
そして、こう問いかけてみる
- 今のわたしは、優しくしたいと思ってる?
- それとも、優しくしなきゃと思ってる?
- この優しさは、わたしの選びか、役割か?
この問いを重ねていくことで、“自分選び”ができるようになる。
そしてその優しさが、相手にも、自分にも届くようになる。
優しさを手放すことが、関係を育てることもある
ときには、優しさを手放すことも必要になる。
それは、冷たくなることではなく、
関係の質を整えることでもある。
たとえば
- 今は距離を置いたほうが、お互いにとっていいかもしれない
- 無理に支えようとすると、相手のペースを奪ってしまう
- わたしが優しくしすぎることで、相手が自分で立つ機会を失ってしまう
自分が考えている「優しさ」を手放すことで、
相手の力を信じることができるようになる。
そして、自分の時間も、関係も、少しずつ育っていく。
まとめ
優しさがしんどくなるとき。
それは、誰かを最優先にして、自分を大切にしていないことの方が多い。
そのことが常態化すると、優しさが“義務”になってしまう。
“義務”になると自己犠牲の上に成り立った円滑なコミュニケーションをとりがち。
自分も大事にするから、相手も大事にできる。
相手を大事にできたら、自分も大事にする。
余裕があるときは優しさを届けるといい。
そしてときには、自分の思う優しさを手放してもいい。
優しさを“役割”から、“選び”に戻すこと。
それが、自分との関係を整え、
誰かとの関係を育てていく、静かな始まりなのかもしれません。




