令和の新入社員を育てる:価値観の違いを理解する

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、北九州市の出身の藤田哲也(ふじた てつや/1920年~1998年)
ダウンバーストとトルネードの研究における世界的権威者。
「ミスタートルネード」と呼ばれた気象学者のお話です。
通り抜ける風を誰もがわかるようにした人がいました。
ダウンバーストやトルネードの発生理由など解明し、命をかけて向き合った気象学者、藤田哲也博士。
その生き方について書いていきます。
風に問いを立てる:北九州から世界へ
藤田博士は福岡県きく郡(現在の北九州市)の出身。
明治専門学校(現・九州工業大学)を卒業後、物理の助教授として教壇に立っていました。
その中で強風を伴うストームの謎に強い関心を向けていたようです。
昭和22年、脊振山で雷の観測を始めています。
当時はコピー機もない時代。
近隣の観測所を一つひとつ訪ね歩き、手作業でデータを収集。
その膨大な記録から、1時間ごとの天気図だけでなく、10分ごとの天気図を作成するという、当時としては革新的な仕事を成し遂げました。
その結果、雷雲の下降気流や冷気外出流の存在を発見。
ですが、日本ではその先駆性ゆえに評価されません。
そこで、博士号取得後に渡米。
シカゴ大学での研究が、藤田博士の才能を世界に知らしめることになります。
日本の残念過ぎることは学者が評価されないこと
こういったことを書くたびに日本の仕組みに残念過ぎる。
このことで、日本の研究が海外で評価されていることには大いに期待が持てる。
反面、博士しか相手にしない欧米の体制。
博士を必要としていない日本。
博士という天才を日本が生かせていないことが浮き彫りになってはいませんか?
世界は広い。
日本という狭い世界観の中で優劣を争うだけで何が生まれるのか。。。
才能ある学者や博士が日本では活躍できない現状に、今更ながら何にも成長していないんだと残念に感じました。
気象構造を解き明かす:ドクター・トルネード
アメリカでは、1960年代から高層観測・レーダー・航空機・地上観測などを駆使し、局地気象の解明に挑みました。
藤田博士が開拓した「メソ気象学」は、メソ高気圧・メソ低気圧といった新しい概念を生み出し、気象学の地図を塗り替えています。
1970年代には、竜巻の被害状況から風速を推定する「藤田スケール(Fスケール)」を考案。
これは現在でも世界中で使われている指標です。
さらに、大きな渦の中に小さな渦が存在するという“多重構造”を見出し、実証。
その功績から、藤田博士は「ドクター・トルネード」と呼ばれるようになりました。
命を守る風の研究:空の哲学を実践する
1980年代、藤田博士は「ダウンバースト」や「マイクロバースト」といった破壊的な突風の存在を提唱。
その着想は、終戦後に広島・長崎の原爆調査で目にした光景から得たといいます。
1975年のイースタン航空機事故では、詳細な解析によりマイクロバーストが原因であると突き止めました。
その後、ドップラーレーダーによる観測網を展開し、デンバー空港付近でマイクロバーストの存在を実証。
この研究は、航空機の安全性向上に大きく貢献し、操縦法の改善やレーダー整備の契機となりました。
藤田博士の問いかけは、空の安全を守る技術へと結実しました。
それは、感じ取った風の気配を、命を守るかたちで体現した実践者の姿です。
気象を読み解き人と場を育てる
藤田哲也博士が見つめていたのは、気象という数字を通じた“命”でした。
ただただ、知っているだけでは役立てることは到底できません。
そこから目に映らないものであればあるほど、人に伝えるのは厳しい。
記録に残すことだけでも同じことです。
命にかかわることであればあるほど、
可視化し、
言い伝えられ、
危機管理意識を持つこと
避難訓練をおこなう
そういったことを通じてしても他人事の時代。
その根底に一番必要なこと。
自分事のように受け止められる感受性を養うこと
ではないでしょうか。
人育ては人生と関わるこそ責任を問われる
藤田博士は、気象に人の営みと問いを感じていたのかもしれません。
とはいえ、本人に直に伺っているわけではありません。
私の勝手な想像で偉大だと思うことも容易いこと。
大事にしたいけれど見落としてしまう感受性。
私が場をつくるときや空気感を整えるとき。
まず必要なのは、目に見えないものを感じ取る力。
ですが、それだけでは足りません。
- 感じたことを、どう言葉にするか。
- どう空間に落とし込むか。
- どう人の心に届くように形にするか。
その一つひとつが、関わる人と一緒に常に私を育てる機会となり、私の与えられた役割でもあるのかもしれません。
人や気配、時間や問いをつなぎ合わせて、
その場にふさわしい流れや温度をつくっていく。
空を見つめることは、場を育てること。
そしてそれは、誰かの命を守ることにもつながっているのかもしれません。
来週の金曜日は
中島平太郎(1921–2017/久留米市出身)
「CDの父」と呼ばれた技術者の物語を、音と場の関係から紐解いてみたいと思います。
どうぞ、お楽しみに。
参考資料
https://www.jma-net.go.jp/fukuoka/chosa/fujitapage_bugai.html
https://honz.jp/articles/-/44164
https://gendai.media/articles/-/89428
https://ps.nikkei.com/bookreview/2017090301.html



