【職場の静かなる革命】力が支配する現実と、被害妄想が招く誤解の狭間で
目次
シリーズVol.10をお届けします。
今回のテーマは
“わかる”ってなんだろう。
共感と理解の間にある小さなずれについてです。
産業カウンセリングの現場でも、
わかってほしい
伝わっていない気がする
という声にしばしば出会います。
そこにあるのは、“言葉の意味”よりも、“気持ちの深さ”への届き具合。
つまり、共感と理解が噛み合ったときの安心感と、少しズレたときの孤独感です。
この回では、その微細なずれがどこで起こるのか。
それにどう向き合っていけるのかを書いていきます。
「わかるよ」と言われて、少しだけ距離を感じた瞬間
うん、わかるよ
その気持ち、理解できる
そんな言葉をかけられて、なぜかモヤっとしたことはありませんか。
言葉としては、受け止めてくれている。
けれど、「ほんとうに届いているのかな」と、ふと疑ってしまう。
産業カウンセリングの場でも、
“共感されたはずなのに、イラっとした”
という会話や感覚に触れることがあります。
それは、“わかる”という言葉の使い方が、
少し急ぎすぎているように感じるときに多いのかもしれません。
1. 共感と理解は、別の深さを持っている
理解と共感の違いって似ているのですが非なるもの。
「理解」は、情報として把握すること。
「共感」は、感情として寄り添うこと。
たとえば——
「この状況、大変ですよね」=事実に共感
「それをつらいと感じたこと」=感情に共感
相談者が語ったのは、事実だけではありません。
その出来事の中で、どう感じたか・どう踏ん張ってきたかという、感情の履歴。
そこまで届いてはじめて、「わかってもらえた」と感じるのかもしれません。
産業カウンセリングでは自立を促す
ですが、私の場合は、産業カウンセリング中には、
「あなたと私は違う」という姿勢を保ちます。
そして、来談者の心の奥にある真意に触れていく流れをとります。
特に、来談者自身が「わかって欲しい」という気持ちが芽生えるときは、他者依存する心理が働いていることもあり、ステップアップの妨げになります。
そのため、自分で自分のことを「わかってあげる」ことこそが自立の一歩としてセッションを進めるようにしているのです。
2. 「わかる」という言葉に、誰の安心が宿っているか
相談の場では、
わかります~。
私にも似たような経験があります。
と伝えることで、 場がほどけることもあります。
とはいえ、それが話し手をそっと遠ざけてしまうこともある。
話し手の感情がまだ揺れているのに、「わかるよ」が、どこか“締め”のように響いてしまう 。
共感のつもりが、相手の語りの温度よりも先に行ってしまう
「わかる」という言葉に聞き手側の安心が先行してしまったとき、
話し手が置いてきぼりになることがあるのです。
3. 本当に“わかる”には、揺らぎに居続ける時間が必要
「わかってもらえた気がする」と感じられるとき、
そこには説明やアドバイスではなく、“一緒に居た”という感覚があることも。
産業カウンセリングでは、正しい言葉を返すより、
話し手のペースに合わせて“まだ決まらない気持ち”のそばにいることを大切にしています。
「それは…なんというか…言語化が厳しい」と一緒に言葉を探す
「うまく言えないけれど、感覚は理解できる気がします」と揺らいでみる
その揺らぎこそが、“わかったつもり”にならずに、
ほんとうの共感に近づいていく入り口になるのかもしれません。
まとめ:わかってもらえた感覚には、時間と迷いが宿っている
すぐに「わかった」と言われるより、
一緒に「わかろうとしてくれた」と感じる時間には、深い安心があります。
共感は、ただの理解ではない。
それは、その人の気持ちの揺れに一緒に居合わせることから始まる。
そして、その関係性の中で、ようやく言葉が届いていくのだと思います。
「わかる」という言葉は、強いけれど、できるだけ使いたくない。
使うときは、慎重さが必要な言葉です。
…その人の感情に触れていくには、いつも少しの余白と、揺らぎが必要だからです。
次回の予告…
Vol.11|「話さなかったこと」に宿るもの
——沈黙の中にある感情と選択の話へ
語られなかった言葉、あえて伏せられた気持ち、言いかけてやめたひと言。
そんな沈黙に、伝えようとする祈りが潜んでいる気がします。
静かな対話の余白を、どう表現していいのか悩みながら書いていきます。




