便利なはずが…気づけば操られてる?:アルゴリズムの支配から自由になる方法
やさしさが伝わらないというもどかしさ
丁寧に言ったつもりだった。
相手を思って言葉を選んだ。
それでも、返ってきたのは
重たい
気を遣いすぎ
そこまでしなくても
そんな言葉のすれ違いに、戸惑いを感じた経験はありませんか。
思いやりが届かないとき、そこには言葉を選んだ“つもり”と、届いた“印象”の間にある揺れが潜んでいます。
それは、「気遣い」と「自己防衛」が絡み合った複雑な心の動きかもしれません。
言葉のやさしさと、関係の距離感。
——今回はその“微妙なずれ”について書きます。
1. 気遣いが曖昧さを生むとき
怒らせたくない
傷つけたくない
無理なく受け取ってほしい
そんな思いから選ばれるやさしい言葉。
ですが “何を伝えたいか” を曖昧にしてしまうこともあるのです。
優しさのつもりで添えたひと言が、
実は“踏み込まない”ことを優先した防衛だったり、
伝える責任を相手に委ねたぼかしだったりすることも。
それは配慮ではなく、本音を覆い隠したクッションのような言葉になってしまうことがあります。
2. “控えめな言葉”が遠ざけることもある
よく耳にする表現に——
ご迷惑でなければ
もしご負担でなければ
お時間の許す範囲で
差し支えのないことで
これらは丁寧で、相手を思っているように考えられがち。
ですが、相手の状況にすべての判断を委ねてしまい、
話し手の意思や背景が見えづらくなるという一面も。
まるで「気を遣ってます」という札だけが立っていて、
その言葉の中に、“何を伝えたいか”が留まっていないような。
配慮とは、やわらかさだけではありません。
率直さと誠実さを両立させることでもあるのです。
3. “誰のための配慮か”を問い直す
言葉を選ぶとき、心の奥底には「相手のため」と「自分のため」が入り混じっています。
「傷つけたくない」は相手への思いやりである一方、
「嫌われたくない」は自分の防衛になりがちなことも。
気遣いの言葉が届かなかったとき、
それは「誰の安心を優先していたか」という問いを私たちに投げかけてきます。
ほんとうに相手の心に寄り添いたかったのか。
それとも、相手に嫌われないように言葉を整えていたのか。
この境界に気づくだけでも、言葉のあり方は変わり始めます。
まとめ:やわらかさと誠実さの間で、言葉は育つ
配慮は、相手を思うやさしさであると同時に、
自分がどうありたいかを映す鏡でもあります。
やわらかい言葉だけでは、届かないときもある。
誠実すぎる言葉には、角が立つこともある。
だからこそ、その間をたゆたう“置き方”が大切になる。
どんなまなざしで、どんな気持ちで、どんな距離で言葉を渡すか——
それが、すれ違いを「関係性を見直すきっかけ」へと変えていくのかもしれません。
次回の予告
次回は、Vol.7|ことばにならない感覚に、仕事は支えられている。
——表現の外にある“働く人の本音”へ。
“言語化されない違和感”“小さな疲労感”“説明できない空気”
そんな、言葉に変換される前の感覚に耳を澄ませてみましょう。




