偏見のレンズ:心のフィルターで歪む現実

バズってるらしい、流行ってるらしい、みんな言ってる——
だけど、いざ聞いてみると「あれ、私それ知らない…」みたいなこと、増えてませんか?
それってほんとうに “流行” してるのか?
それとも、“流行ってる感じ”を上手に演出されてるだけなのか。
そういった視点が生まれるとすべての世界の見え方が変わるんですよねぇ。
“人気に見せる技術”はすごいけど…
よくよく見ると、そのイベントの盛り上がり。
その口コミの連鎖、そのレビューの星の数——。
……単なる仕掛けのせいなのかも。
人を集めたり、信じさせたり。
そう、「さくら」という江戸の知恵は、いまも形を変えて生きてます。
ほんとうの“ブーム”の階段
Step1:誰かが「これ流行る」って言った
↓
Step2:何人かが「いいね」と言った(中には“さくら”も)
↓
Step3:自分のタイムラインが似たような話題で埋まる
↓
Step4:「みんな好きなら、自分も好きな気がする…」
↓
Step5:気づいたら、本当に流行になってた(っぽい)
自分の心は推し完成。
ちなみにこの時点で、「自分の感覚」ってどこにあったんだっけ?
“ちょっとズレてる”くらいが、ちょうどいい
私は正直、流行からほんの少しズレたところに惹かれるタイプです。
だれも気にしてない、でも自分だけが「これ…いいな」って思うもの。
流行らなくたって、それを好きでいられるって、すごく自由。
誰かと“そのズレ”で盛り上がれたときの楽しさは、涙が出るほどお腹を抱えて笑える。
自分だけの“推し感覚”、持っていたい
大事なことは何かを知っていることが求められる。
- 「なんか好き」って思える小さな瞬間
- 「これ誰も注目してないけど…!」というトキメキ
- タイムラインの波に飲まれず、大切にする
きっとそこから始まる空気の方が、ずっとしなやかで、心地いいのではないでしょうか。
まとめ
あなたが最近「いいな」と思ったものは、ほんとに“あなたの感覚”ですか?
それとも、みんながいいって言ってたから、その空気に乗せられたものですか?
この問いを、自分の中に置いておくだけで、ちゃんと“自分の足音”で歩ける気がするのです。
流される情報の波のなかで、自分がわからない人たちが増えたからこそ、敢えて伝えてみようかと考えました。



