困った人だけが困る世の中
次女が高校1年のとき、因数分解がわからないとイライラして、私に教えてと言いました。
私は「因数分解とか、何十年ぶりだし、そもそも聞く相手がちがうでしょう」と焦りながら拒否。
しかし、食い下がる次女
「宿題をやり遂げられず、死亡フラグが立っている、こんな私を見捨てるんですか!」と一言ざっくりいうんですよ。
「えー、お母さんは、勉強はそもそも嫌いやん。嫌いな宿題から解放されて数十年たつのに、どうしてまた宿題せないかんのよ。あんたにも勉強しなさいって言った事ないやん。やだ、やだーー」と言いました。
すると、次女は反撃にでるわけです。
「鎌田さん(娘本人を指す)と同じ思いを共有するのも親というものでしょ。親なら子供の意欲を伸ばす手伝いも重要だとおもいます!!私の考えは間違っていますか!?」と口を尖らせ聞く耳持たず。
渋々、教科書を覗くと、ちゃんと解答付き。
でも、解答のみなので、解けないし、見てもわからない。
おまけに解答には、対称式や交代式のそれぞれがある。
「こんなのあったっけ??わたくし、記憶に無いんですが。」
それこそ、私の頭にヘルプフラグがはためくのです。
フット思いついた、ネット検索!!
YouTubeにも、回答方法がアップされてるではありませんか!!
お子ちゃまと動画を一緒に見て、こうするんじゃないか?と、糸口見つけて一緒に解いて、後は自力で宿題終了。
終わった後に、ふっと我にかえり、
便利なスマホのお陰で、嫌いな数学のやる気は継続して、問題一問一問に時間はかかるけれども、何とか解けるすっきり達成感は味わえた。
けれど、宿題をやり遂げる為に一生懸命になって、学校の先生とコミュニケーションをとらないで良い方法を教えたんじゃないだろうか。
解答方法を自分で探し出して、見つけて解けた楽しみを半減させたんじゃないかと感じてしまったのを思い出します。
最近は、本当に便利な世の中になったと思う反面、墓穴を掘ってしまったのでは??
複雑な心境の想い出話です