大人は子どもの成長する機会を摘み取ることをしてははいけない
タイトルを見ると、私関係ないです!と思われるかもしれません。(笑)
ですが、この行為は日常茶飯事です。
年間の登壇200件近くやっていると、色々な方にお会いします。
その中でも、良くある傾向は、
自分が正論であり、相手が異論だった場合は、自分の正当性を盾に異論者を攻撃をする方です。
攻撃の方法は、知的戦略です。
まず、該当する方の事を陰で悪く言い、仲間から外し、孤立させること。
孤立させる事に苦言を証する方がいたら、自分の正当性を主張し、被害者的な話を交え論破する。
若しくは、該当する方の上にいる方に上告し、
「あの方は、立場上ふさわしくない。」
「自分は、そうは思わないのですが、周りは良く思っていません」
という話方で、判断は聞いた上役の判断にゆだね、自分は該当者に対して普段通りに接する
結果的に、
どちらも、自分と違う意見を持つ人を、自分のテリトリーから抹殺する結果を手に入れるのです。
もちろん、内容は大なり小なり、問題になりそうな立場上など含めた、判断基準は明確にしておく必要があります。
言葉尻をとらえて感情的になるのは違う
判断基準として、
自己正当性を基に公私混同し、
私情を交えた感情論で、言葉尻をとらえて反応し、
直に当事者に自分の気持ちを表現することなく、
私の気持ちは、皆が聞いたらわかってくれる
これは他人の為だと思って、自己弁護をしつつ、被害妄想的に行動する場合は大問題です。
自分の行動や発言に対しては無責任
そして、その結果、自分の快適な領域が手に入るのですが、
自分さえよければという考え方ですから、
該当者は職を失うかもしれないという事はお構いなしです。
なんでも、後からなら、いくらでも自己正当を訴えて相手が悪いといくらでも言えるもんです。
しかし、そんな方に限って、当事者に対してはにこやかに接し、陰で悪くいうわけですから、該当者は人を信じられなくなると思いますよ。
精神的な疾患がある方は別としても、
わからないからやってしまう事に関して、わかって欲しいと思うのであれば、相手を自分のテリトリーから抹殺する方法ではなく、どうやって自己犠牲の上に成り立った円滑なコミュニケーションを辞めて、快適に共存できるのかを模索する事がこれからの時代必要になってくると思います。