自分を信じるられるか否かで接し方が変わる
以前、1ヶ月半の充電期間で、自分の時間を有意義に過ごせたこともあり、
仕事が恋しくなったころ合いで、土曜日に看護大学の講義の仕事が入ったことがあります。
参加者は10~20年キャリアの方々
依頼の内容は盛りだくさんで、本来なら6時間で終わるものではないものでした。
講座のシナリオやスケジュールでは、グループの行動療法を使わざるを得ず、かなり力技のトレーニング。
日頃と違う視点を取り入れるので、受講者の頭の疲労は半端ないはずです。
参加された方は、かなりの自己啓発意欲が高かったので、
職場の職責者からセミナーに行ってほしいと強く言われたと言えど、
仕事がみっちり入っている翌日の参加にもかかわらず、最後まで聞きもらさないように、メモを取ったり、自己理解を深めた点を自分に落とし込んで帰られました。
終わった後、参加者の自己啓発意欲や学びたいという意識の強さで、全体で作り上げる講座の仕上がりは違うなーと改めて実感します。
これってパワハラですよね?
その時に、「職場の職責者からセミナーに行ってほしいと強く言われたから来たんです」という話を聴くことができて、むかーし、社員研修担当していた時に、既存のスタッフから相談をうけた内容を思い出しました。
内容は、「上司から研修に行けと言われる事が苦痛で嫌なんです。」という内容。
じっくりと話を聴いていると、
「研修に行けって言われるという事は、お前のやり方が間違っている、能力がないから、勉強しなおしててこいと言われているわけですよね?それは、確かにできないところはあるけど、結果は出しているし、一生懸命頑張っている自分を否定されている気がする。これはパワハラですよね?」と独りよがりの考え方を伝え、パワハラを主張し同意を求められた記憶があります。
パワハラには定義があり、業務に関しては指導
こういったスタッフの良くある自己矛盾点は、従業員の時には上司に自分が求める理想像を押し付け、できない上司だとレッテルを貼るが、自分がいざ上司になると、自分が持つ理想の上司像に潰されてしまいそうになるか、従業員に理想の従業員像を求め、出来ない従業員だとレッテルを貼るので、後から辛くなりやすい傾向があります。
そして、相手がハラスメントと受け取った時点でハラスメントになるという考え方はちょっとずれが生じていて、よくよく話を聞いてみれば、相手に直にどうして必要なのか確認することなく、勝手な想像だけで感情的になり、それをハラスメントと言い切ってしまうのは、ちょっと違います。
また、上司だけがパワハラをしているという考え方も違っていて、逆に部下が自分の優位性を基に、上司の話を聞かない、上司の事を陰で悪く言い、集団で無視をするなどの行為にしても、同様に逆パワハラとなってしまうんです。
業務的な指導の一環として話す内容についても、そのときによって状況も関係することはありますが、相互尊重の立場も考えていかないと、自己犠牲の上に成り立った円滑なコミュニケーションは成り立たず、会社は苦痛の場になってしまうのは、立場が変われども、仕事の効率は落ちてしまうと、会話を通じて自分の考え方を具体的に伝える努力と説明責任を果たして欲しいなと感じます。