恥と感じる“自分を恥じる”ことの大切さ。
人に何かを「教える」と言う事は、自分の理解している事をアウトプットすることになりますが、このアウトプットがとても難しいと感じます。
それは、自分が無意識にできていると言う事は、相手もできていると勘違いしがちなので教えそこなってしまうことも中にはあります。
また、人は誰しも、自分を基準にして教えるので、色んな偏りも出てきます。
そういった事から、「教える」という事も一つ間違えば、自分のやり方を押しつけることなる場合もあります。
反対に、自分で考えなさいという事も、考える力を養うためにも必要ではありますが、受け取る側からしてみると放置された無責任な振る舞いと捉えられることになる場合もあります。
このバランスが、毎回すごく難しいと感じます。
最近は、インターネットで公開吊し上げをされる時代です。
また、こんな上司はどう思うかとネットで一斉公開されても困ります。
そのため、企業は誹謗中傷対策として色々と自社を守るために対策に追われる事になるのだと思います。
私もコンプライアンス教育の依頼を受けていましたが、一度やっただけではだめなんですよねぇ。
毎年、毎年、同じ内容を刷り込むかのごとく、年1回以上は行ってはいても、プライベートは無法地帯ですから本当に怖いもんです。
教える責任と無責任のバランスは
これからも企業の責任として何処まで対応すべきなのか、
考え方を見直し、今時代に合わせて変革しつつも、これからますます複雑になりそうです。