共感疲労とは?心が疲れる理由とその対処法
この仕事を始めて、特に良く思うことがあります。
それは、知ってしまったばかりに、いらぬ気苦労を背負うんだと言うこと。
サラリーマンをしていた時、
わたしにも大したことでもないのに
ぐだぐだと不平や不満を言っていられる頃がありました。
ビルの中にあるオフィスで、
お客様から褒められれば有頂天になること
企画が通れば、自分が特別な存在だと優越感に浸ることもあれば、
失敗すれば会社を辞めたい、行きたくないと、
あの頃の私にとっては重大な問題として感傷的になるような
主観的で独りよがり、自分に好都合な考え方をしていました。
ですが、独立をして自営をはじめ、
従業員を雇用する事になった今では、
実は、あの頃が小さな世界観の中で喜怒哀楽を楽しんでいられる、
一番ラクで幸せな時間だったんじゃないだろうかと気が付くわけです。
いまとなっては、もうあの頃には戻れない上に、ましてや取り戻すこともできません。
そのことに気がつくことで、自ら進んで自分の首を絞めてしまうという、何とも言えない表現しがたい気持ちにもなるのです。
そんなこんなで、
知らなければ幸せでいられる。
危険地帯に寄りつかなければ、突っ込まないでよい所に首を突っ込んで、焦ることもない。
・・・と、わかっていて、
物事の考え方にも限りなくグレーが好きにもかかわらず、
黒白はっきりする立場になってしまいまして、
今では、我は関せずの生き方を貫くのは難しい状況下にいます。
井戸の中の蛙であれば、悩みも手に届くくらいの大きさかもれない。
井戸から出れば、生死をさまようような死活問題と遭遇するので、災害などの生命の危機から、何とかして生き残るための知恵を手に入れないと命を落としてしまいます。
生きるためにやったことの無いモノにも取り組み、多くの失敗と成功を手に入れながら、止まることを許されずに、試行錯誤を繰り返し、とにかく安住の地になるように、手を変え品を変え、動き続けざるを得ない。
こんな心境でしょうか。
不器用な生き方をしている私に、
もっと楽な生き方をしてもいいのに「私ってあほだよな」と苦笑いし、悩まれている方とセッションをする際、私もそんな悩みをもっていた頃に戻りたい、何だか羨ましいなぁと感じる時があるんです。
そんなこんなで、コラムを読んでいる方には
大きな決断をする前程こそ、
一度客観的に見たらどうだろうかという、
主観的から客観的な物事の捉え方への思考の切り替えをお勧めします。