正しいのに届かない言葉 ―「伝える」と「関わる」の違い―

最近、こんなやりとりを見聞きすることがあります
「悪気はないのに、なぜか傷ついてしまう」
「正しいことを言われているはずなのに、モヤモヤが残る」
その背景には、
“ステレオタイプで相手を理解してしまうこと”が
関係しているのかもしれません。
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ある方の話です。
その方は、お母様を亡くされました。
長年、ゴールデンウィークやお盆などの長期休暇には、
「実家に行かなければならない」生活を続けてきました。
お母様との関係は、決して良好とは言えず、
それでも「よい娘」でいようと、
ずっと応え続けてきたそうです。
亡くなる前の8年間は、
サポートのために月に何度も実家へ通う日々。
そして迎えた今年のゴールデンウィーク。
はじめて
「実家に行かなくてもいい」時間が訪れました。
その方は、こう言いました。
「今年は、実家に行かなくてもいいゴールデンウィークなので、嬉しいです」
この言葉に対して、ある人がこう返しました。
「それは、嬉しいんじゃなくて悲しいことでしょ」
この一言に、その方はとても悔しさを感じたそうです。
たしかに、一般的には
・肉親が亡くなるのは悲しいこと
・帰る場所がないのはさみしいこと
そう捉えられることが多いと思います。
でも、その人にはその人の背景があります。
どんな関係だったのか
どんな時間を過ごしてきたのか
どんな思いでその言葉を口にしたのか
それらを飛び越えて、
「こう感じるはずだ」と決めつけられてしまったとき、
人は理解されたとは感じません。
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コミュニケーションで大事なことは、
“正しさ”よりも“その人の背景”を見ることかもしれません。
・この人は、なぜこの言葉を選んだのか
・どんな気持ちで話しているのか
・どう受け取ってほしいのか
そこに目を向けるだけで、
関わり方は大きく変わります。
たとえば、この場面であれば、
「そう感じているんですね」
「いろいろあったんですね」
そんな一言のほうが、
相手にとってはずっと救いになるかもしれません。
私たちはつい、
「普通はこう感じるよね」
という枠で相手を見てしまいます。
でも、その“普通”が、
相手を遠ざけてしまうこともある。
だからこそ、少しだけ立ち止まって、
“この人にとってはどうなのだろう”
と考えてみる。
それが、関係をあたためる一歩になるのだと思います。
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今回の話は、特別なケースではなく、
日常の中にもたくさんあることです。
職場でも、家庭でも、友人関係でも。
「わかっているつもり」が、
すれ違いを生むことがあります。
だからこそ、
相手を“当てはめる”のではなく、
“知ろうとする”こと。
そんな関わりを、少しずつ増やしていきたいですね。


