言問学舎の冬期講習2024‐25 中3生期末躍進、社会連続100点達成
昨年のこの時期にも書きましたが、10月という月は、私にとって特別な月です。30年前(1982年=昭和57年)の10月26日に、戦前からずっと活躍されていた歌い手の灰田勝彦先生が、亡くなられました。
私はそれ以前から、当時「懐メロ」と言われていた昭和前期の流行歌が大好きでしたが、そのほとんどが悲しい歌でした(その理由となるものが、私を「物書き」にしたのですが)。ところで灰田先生が歌われた歌は、健康的な明るい歌が多く、昭和の流行歌を好きになって早い時分の私には、遠いものと感じられてもいました。しかしいつからか、いつまでも悲しみにひたっているわけにはいかない、そろそろ灰田さんの明るい歌を覚えて、いまの毎日から抜け出そう、そうした希望を持ち始めた私の行く手を照らして下さる灯台のような存在が、その頃の私においての灰田先生だったのです。
そんな矢先に突然、先生が亡くなられたことは、大きなショックでした。まだ大学2年生でしたから、ご葬儀などにはお伺いできませんでしたが、すぐにLPレコードを買い求め、先生の歌を次々に覚えました。『アルプスの牧場』だけは、ヨーデルの発声ができるようになるまで2ヶ月かかりましたが、それでも昭和57年の暮れまでには、代表的なヒット曲はみんな歌えるようになりました。
こうした灰田先生との「出会い」が、私の人生を変えてくれたことは、間違いありません。今、子どもたちにものを教えるというなりわいをしていますが、大学生当時の私には、考えられなかったことです。灰田先生の面影を追いながら、亡き先生に「正しく生きろ」と励まされ、だんだんと人間性まで、変わっていったように思います。
昨年、YouTubeにアップした『新雪』という歌は、中でももっとも強く、若き日の私を支え、導いてくれた歌です。まもなく30年のご命日がめぐって来るのにあたり、もっともっと、灰田先生というすばらしい方がいらしたこと、現実に一人の若者の命を救い(僭越ながら私のことです、昔は一人などでなく、本当に大勢の方々が灰田先生を慕い、支えられたことでしょう)、人生を導いて下さったのだということを、広く知ってもらいたいと願っています。究極的には小説を書くことと、さらに歌を歌って公開することが計画にあるのですが、日々のなりわいの中で思うにまかせぬ今日の段階では、思いをつづることで、せめてもの気持ちの表明とさせていただきたいと思います。
平成24年10月6日
小田原漂情
改めて、YouTubeのURLをご案内させていただきます。
http://www.youtube.com/watch?v=UWuJJRqCtvQ
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
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