言問学舎の冬期講習2024‐25 1年生も頑張っています
昨年から、英語の授業を一部受け持つことがあり、疑問を持つ、というよりも、嘆息することがあります。英語のテキストの日本語訳に、「朝食を食べる」などの表現が、散見されるためです。
今、この文章を書くために、二十代半ばの頃買った研究社の『新英和中辞典』で「breakfast」の項を見てみると、動詞として「[...の]朝食を食べる」という表現と、「コーヒーとロールパンの朝食をとる」という表現が混在していますので、英文→日本語訳の場面では、昔から相当、ゆるされていることなのかも知れません。
私は英語に関して物申す資格も、また意向もありませんから、あくまで日本語、国語の表現として、ひと言表明しておきたいと思います。
それは、「朝食を食べる」という日本語は、やはりおかしい、ということです。
かんたんに言って、これは「同義反復~同じ意味の言葉を繰り返すこと」に含まれます。そして「同義反復」というのは、修辞法=表現技法として、あえて高度に用いる場合(例:石垣りん 鬼ババの笑いを 私は笑った 「シジミ」)を除き、たいてい舌足らずで、読む側には消化不良を起こさせます。「朝食を食べる」は、まさにそのたぐいなのです。
もう少し、解説しましょう。「朝食」とは、「朝の食事」です(昼食、夕食しかり)。従って、「朝食を食べる」とは、「朝の食事を食べる」と同義であります。「朝食を食べる」に対する疑義に納得できない方も、「食事を食べる」ではなく「食事をとる」が正しいことに、異論はないでしょう。
ところで、私が問題にしたいのは、「朝食を食べる」という言い方が自然になってしまっていることではありません。このことを顕著な例とする、言葉への意識の変化が(軟化と言ってもいいでしょう)、あまりに深刻になってしまっている点なのです。規範のゆるみ、美意識の変化、他者への思いやりの欠如、それらのことと、言葉に対する意識とは、決して無関係ではありません。きちんとした言葉を使うことは、個人のためにも社会のためにも、きわめて大事なことなのです。もちろん学齢期の子どもたちにとっては、「学力」の面においても、欠くべからざる重要な要素の一つでもあります。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎