言葉の力

小田原漂情

小田原漂情

 全くのわたくしごとですが、去る4月8日に、父がみまかりました。85歳でした。

 7日の土曜日に、塾の仕事を終え、神奈川県大和市にある、入院中の病院に直行しました。前日の朝も顔を見に行っていたのですが、その日の午後、心臓の動きが遅くなったとの連絡が兄からあり、交代で病院に詰めるつもりで向かったのです。

 ずっと付き添っていた母が疲れているので、7日の夜は一度家に帰ったのですが、ほどなく病院から「すぐ来るように」と呼び出され、タクシーを待って病院へ駆けつけた時には、すでにこと切れた後でした。さほど苦しい思いはしなかったかに見えたのが救いでした。8日の未明、午前1時5分のことです。

 父逝きて空白み来たるひと朝は虚構ならざり桜(はな)しづかなり

 私はちょうど一年前から短歌に復帰したのですが、十年近いブランクがあり、はなはだ散文的な(会社経営という)日常にあるためか、以前のように言葉が一首を流れてゆく感覚が乏しく、言葉のつながりがゴツゴツしているように、ずっと感じられていました。
 ところが、病院から父(のなきがら)を連れて帰り、葬儀の段取り等の打合せを終えた朝のことを思い出している時、上に掲げた一首が、するりと詠み下せたのです。久しぶりに、「歌」が自分に帰って来た思いがしました。

 父は短歌を詠んでいたわけではありません。けれども「歌唱」の方の歌は大好きで、私も大いに影響を受けたと思います。
 また、私は塾で子どもたちに百人一首を教えていますが、自分が小学生の頃は、父が自己流の独特の節回しで、家で百人一首を(いわゆるかるた取り)やっていました。中学で韻文学クラブに入ったこと、そして歌詠みになったことと、この百人一首の体験は、当然無縁ではないでしょう。
 そして父の死とともに、歌ことばとリズムが自分自身に戻って来た、それはやはり、親子というつながりの深さによる一方で、言葉そのものの持つ力が、私を動かしているのでしょう。

 古い時代の人間ですから、若いころ、父は相当好き勝手をして、母に苦労をかけたようです。晩年も、父の面倒を見るのが母一人で、しんどい思いの毎日でした。しかしながら、最後の入院をする朝、父は母の顔をじっと見て、「お前には世話になった」という意味のことを言ったそうです。そのひとことですべてが報われた、というのが、母の今の思いのようです。

 父のひとことは、大きな「言葉の力」でもって、長年連れ添った母に報いました。こうして父のことを書いていると、私もまた大きな「言葉の力」に包まれていることを感じます。

 このように大きな力を持つ「言葉」のすばらしさを多くの子どもたちに、そして多くの方々に伝えることが、私の為すべきことであるのでしょう。それは父の供養でもあり、また古来数多の言葉を紡いで来られた先人たちに報いうる、私のつとめなのだと考える次第です。
 

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎






 

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小田原漂情
専門家

小田原漂情(学習塾塾長)

有限会社 言問学舎

自らが歌人・小説家です。小説、評論、詩歌、文法すべて、生徒が「わかる」指導をします。また「国語の楽しさ」を教えるプロです。みな国語が好きになります。歌集・小説等著書多数、詩の朗読も公開中です!

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