「ずぼらのメガネ」、東大学園祭企画を英語でシェアしてみる!
この東海の孤島の国(日本)の常識が全てでない
この夏、二人の若者、カナダからの留学生、ダンカンC.Jさんと、東大2年生バイリンガルで当会講師の一人、佐伯恵子さん(仮名)が、自らの体験に基づき、今年度のテーマ「幸福とは何か?」について英語でレクチャーくださいました。
ユニセフの調査で、日本の若者の精神的幸福度が先進国でほぼ最下位とのデータがきっかけです。
幼い頃からジブリ・アニメで育ったダンカンさんは、カナダの大学で日本史を専攻、日本に憧れ、自らバイトで稼いだ費用で日本への留学を果たし、京都を訪ねた際は、タイムスリップをしたような深い陶酔感に浸ったとのこと。
一方、佐伯さんは、小3までアメリカで育ち、帰国後、ほぼ全ての帰国子女がぶつかるという「日本の学校環境への不適応」
を体験。思春期を通しても英語教科のみならず、日本教育の在り方全般に違和感を抱きつつも、その壁を乗り越え、見事、一般試験で東大に現役合格した方です。
ダンカンさんは、カナダやアメリカなど欧米文化と日本文化、どちらが優れているとかでなく、その違いを明示する、信頼できるいくつかの調査結果をベースにレクチャーを進めていきました。
そして
The bus should always arrive on time.
(バスは、いつも時間通りに到着すべきだ。)
といった、日本では当たり前の状況に関するいくつかの問いを生徒たちに投げかけ、グループワークしました。
中でも刺さったのは、以下の3問です。
1)It is wrong to take a break while others work.
(他の人が働いている時に自分だけ休むのは間違っている。)
2)You should try your best not to stand out.
(極力目立たないように、最善を尽くすべきだ。)
3)It is better to be humble than boastful.
(自慢するより、謙虚であるべきである。)
1)に関しては私自身が会社員時代、上司がまだ職場にいるだけで、例え自分の仕事が終わっても「お先に失礼します。」
とどうしても言えなかった苦い経験が蘇自ってきましたが、当会の生徒たちの7割が、「自分のタスクが終われば、休んで良い。」
との結論を下し、時代と共に意識は変わると実感しました。
2)に関しては、カナダ育ちの若者には、「日本人はまるで息をひそめるように、極力目立たぬよう生活している」
ように、見えるのだと切なくなりました。
この問いに対して、当会の生徒たちの答えは半々でした。
極力目立たぬようにすべきと答えた生徒たちの主な理由は、
「目立って変な人に思われたくない。」
「単に目立ちたくない。」
とのことで、発信力を伸ばすことを是としている当スクール代表としては、複雑な想いでした。
3)に関しては、生徒たちは、全員humble, 「謙虚である」方が良いを選びました。
その理由を端的にまとめると、要は、謙虚である方が、cool!(かっこいい)
ということです。
ある生徒は、「内心自分を凄いと思っていても、それは決して口には出さない。」
と述べていました。
「高倉健は、背中で語る。男は黙ってサッポロビール。」
、そんな価値観はもはや化石を思っていましたが、次世代に脈々と受け継がれていることに驚きました。
ダンカンさんは、生徒たちの回答に深く敬意を払いつつ、
2)に関しては、
「僕は、こんな巻き毛で、190センチもある外国人だから、どんなに努力しても日本では目立ってしまうな。」と、均一的社会において、どうしても異端になってしまう、マイノリティーの人々への配慮を想起させました。
3)に関しても
「謙虚さは世界に類のない日本の美徳だ。」
としながらも、
「それがあまりに過ぎると、他者への無関心になってしまう場合もある。」
と、指摘。
例えば、通りでもめ事が起きても回りで見ている人々は、仲裁に入るわけでなく、ただ傍観しているという、日本でよく目した場面に触れ、「謙虚であることに慣れ切り、いざという時も控えめになるのはどうだろうか?」
と問いかけ、日本の不動の美徳、「謙虚さ」についても客観視させたのです。
このカナダ出身の若者、ダンカンさんは、日本文化の教授になることを目指しているだけあり、「日本人の深層心理を、日本人以上によく理解しているなぁ。」
と感嘆しました。
自己評価(sefl-esteem)と自由(Freedom)ついて
ダンカンさんの生徒たちへの問いは、そのまま、佐伯さんも体験した、帰国子女が遭遇する「日本の学校環境への不適応」にもつながります。
佐伯さんがリピートしたunadaption(不適応)の最大点は、「日本の学校では、自己主張や、自分の特性や個性を大っぴらにしてはならぬ。」
という空気、不文律でした。
それは、アメリカの小学校とは真逆であり、佐伯さんは混乱したといいます。
アメリカの小学校では、自分の考えははっきりと述べ、行動に移し、各自の個性を最大限発揮することを奨励し、実際、佐伯さんは、国語(英語)が得意で、日本人ながら飛び級した体験も述べ、それは、明確に「自己承認」
につながったそうです。
また、日本の学校の規則の多さに慣れるのも時間がかかった
とのこと。
アメリカの小学校は髪の色(虹色に染めている子もいた。)も服装も(ピンクの服を着ている男の子もいた。)、通学方法(スケートボードで通う子もいた。)等など、とにかく自由だったのです。
佐伯さんのレクチャーのキーワードは、幸福感に結び付くであろう下記の英語でした。
★self-esteem(自己評価)
★freedom(自由)
お二人のレクチャーを通して、これからは、このような若者たちが世界を変えていくのだと実感しました。
それは、単にバイリンガルであるという言語レベルを超え、個人を重んじる欧米文化(individualism)と集団を重んじる日本(東洋)文化(collectivism)の両方を深く理解し、ハイブリッドし、内面化している、「真にグローバルな人財」ということです。
そんな彼らのファシリテイトは、自己形成期にあたる中高生たちに、この東海の孤島の国(日本)の常識が全てでないこと、世界的視野で日本社会の課題を俯瞰し、メタ認識する問い
に溢れていました。
この課題での特別講義は、毎月開催し、12月頭開催の英語プレゼン大会に反映します。
また、随時お伝えしていきます。