なぜ、私が単位取得の専門塾の猫の手ゼミナールを作ったのか?
さて、今回は大学生を指導していて、「伸びる大学生と伸びない大学生の違い」について話そうと思います。
この違いは「全ての年齢層の教育に共通する部分」になると思うので、少し皆さんにも話していければと思います。
ある意味で大学生というのは教育の集大成の学年となるので、我々から見た学生の特徴について話したいと思います。特に小学校や中高での教育に参考になれば幸いです。
それでは本題です。
弊社では学力レベルが東大の学生もいれば、偏差値50以下の学生も指導したことがあります。
メインの受講生の学力は偏差値60以上の大学の学生が多いです。
彼らの偏差値から分かる最大の違いは何なのか?というと、、、実は共通点があります。
その違いとは「分からないことを恥ずかしがらずに分からないと言えること」という共通点です。
これは意外に思われるかも知れませんが、東京大学の学生の方が分からないことを分からないと正直に話してくれます。
一方で偏差値の低い大学生ほど分からないことを分からないというのを恥ずかしく感じてしまうようです。
なぜ、このような現象が起こるのでしょうか。
私なりの分析は下記のとおりです。
(1)成功体験が多い
偏差値の高い大学の学生は分からないことが分かるようになった経験が多いということが大きな理由かも知れません。
それこそ、大学受験の問題などで分からなかった問題を後で分かるようになるという経験があるので、「分からないということをマイナスの要因だと考えていない」という傾向にあります。
つまり、「今は分からなくても分かるようになれば良い」という考えです。
一方で偏差値が少し低めの大学では、分からないことを恥ずかしいと感じて、人に言わない傾向にあります。
結果的に分からないことを放置してしまい伸びなくなります。
(2)分からないことを放置してしまうと勉強が伸びなくなる
教育関係の人はご存知かと思いますが、数学の指導をしていると、数学の凄く苦手な学生には共通点があります。
それは、「三角関数や三角比の分野」あたりを極端に苦手にしている点です。
サイン、コサイン、タンジェントなど、皆さんもやったことはある分野ですよね。
この分野を中学生や高校生のタイミングで苦手なまま放置してしまい、理系の大学に入ると苦労してしまいます。
つまり、分からないまま放置した結果、一部の学生は上記の分野を大学まで引きずってしまう傾向があります。
(3)何が分からないか分からない
根本的には「何が分からないか分からない」という原因もあります。
東大の学生の場合は何が分かって何が分からないかを頭の中で整理できているので、自分が分からない部分を明確にできます。
一方で、その分野を初めて学んだ場合は、そもそも、何が分からないかを分からないという状況になりやすいです。
だからこそ、分からないと言えなくなるのかも知れません。
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最後になりますが、ソクラテスという哲学者は「無知の知」という言葉を残しています。
これは教育の本質的な部分かも知れません。
今は分からなくても恥ずかしいいことだとは思わないで欲しいです、誰でも最初は素人で分からないものだと。
学ぶことは恥ずかしいことではありません。
ただの通過点だと思って欲しいと思います。
何となく、この言葉が勉強に悩んでいる、多くの学生に伝われば嬉しいです。
猫の手ゼミナール


