【春節の思い出】お 年 玉
ハルピンの夏(その一)ハマグリ狩り――文 劉鳳雯 日本語校正 島村博道 ディラン恵子
「輝く夏空は晴れ、憧れの美しい太陽島。釣り具やキャンプの道具持ち、僕等は太陽島にやって来る…」これは20世紀80年代初頭に中国大陸で流行っていたドキュメンタリー映画「ハルピンの夏」の挿入曲「太陽島の中」の歌詞です。このドキュメンタリー映画、この軽妙で愉快な歌によりハルピンは全国的に有名な避暑旅行地になり、松花江、太陽島は誰もが知っている夏の観光聖地になりました。私はハルピンの夏を思い出す度にこの歌や松花江の北岸の太陽島を思い出し、また幼い頃の忘れがたい記憶がよみがえるのです。
小学校4、5年生の頃の夏休みでした。父は数人の同僚と一緒に松花江北側の療養所へ集中創作に行き、母は私たちを連れて父に会いに行きました。療養所は川辺に建てられた木造の平屋で、少し歩くと川辺に着きました。水泳が大好きな父は毎日川に泳ぎに行くので、真っ黒に日焼けしていました。私たちを見るやいなやと喜びでいっぱいの父はどうしても近くの川辺にハマグリ狩りに連れて行きたいと言いました。私たちは父の部屋に荷物を置き、桶だけを持って父について行きました。
父の言うその川辺へ行くには、川の合流点を歩いて渡らなければいけません。その深さは50センチ位、幅は7、8メートル位。私たち3人姉妹はスカートをまくって腰に巻きつけ、手を繋いで川を渡ります。父は弟を抱いて先に行き、すぐに向こう岸に着きました。私たちは母についてでこぼこの川底を歩き、倒れそうになったりぐらついたりしながら前へと進みました。川底の細かい砂が足指の間から上に上がってきて滑りやすくなり、気を付けないと小さな石を踏んで足が痛くなるため、すぐ場所を換えないといけません。私達三人は支えあい、倒れそうになりながらも恐る恐るやっと合流点を渡りました。(後日、父の同僚は私たちが分流点を渡る時にこっそり撮った写真を見せてくれました、私たちの恐怖にひきつった表情が非常に可笑しくて、恥ずかしいかぎり。)
川に着くと、父はあちこち自由に触ってみろ、貝が捕れるぞと言いました。ここの川は普段あまり人が来ないので、ハマグリは元気よく育ち、足を伸ばして川底を踏むだけですぐにハマグリにぶつかります。私たち子どもは川の浅い所で捕り、父は深い所へ捕りに行きました。あっという間に午後になり、私たちは一桶たっぷりのハマグリを捕りました。最も大きいハマグリは両手のサイズよりも大きいものでした。私たちは来た道を戻り、夕方ごろ松花江南側の家に戻りました。
祖母は大きいハマグリを指位の太さに切り、葱と一緒に炒めました。小さいハマグリ、タニシ、及び他の貝類をきれいに洗い蒸し、酢醤油とおろしにんにくで作った汁につけて食べ、味は非常に新鮮でおいしかったです。家族全員で食卓を囲み、ハマグリ狩りの様子を賑やかに語り合った思い出は忘れがたいです。
その後、太陽島は全国で有名な観光地になり、川辺にしっかりした堤が作られ、堤の傍には車が走る道路も整備され、とても便利になりました。けれどもあのハマグリが元気に育つ河川合流点が見当たらなくなり、素朴な自然の風景はいろいろな人工の景色に変わってしまいました。幼い頃、家族と一緒に川の合流点を歩いて渡り、ハマグリ刈りをした時のことを思い出す度に、心に淡い幽愁と純粋だった子ども時代に対する憧れが湧きあがってくるのです。
ハルピン:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%B3%E5%B8%82
松花江:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E8%8A%B1%E6%B1%9F
【中国語原文】
哈尔滨的夏天 之一 摸河蚌 刘 凤雯
“明媚的夏日里天空多么晴朗,美丽的太阳岛多么令人神往。带着垂钓的鱼竿、带着露营的蓬帐,我们来到太阳岛上……”这是上世纪八十年代初期在中国大陆流行的纪录片《哈尔滨的夏天》的插曲《太阳岛上》中的一段歌词。这部纪录片、这首轻松愉快的歌曲使哈尔滨成为全国闻名的避暑旅游区,使松花江、太阳岛变成了家喻户晓的夏日休闲胜地。每当我想起故乡哈尔滨的夏天,就会想起这首歌,想起松花江北岸的太阳岛,想起小时候一段难忘的记忆。
是小学四五年级时的一个暑假。父亲和几个同事去松花江北岸的疗养所搞集中创作,母亲带着我们几个孩子去看望他。疗养所是建在江边的一排木制平房,走不远就能到江边,酷爱游泳的父亲每天去松花江游泳,皮肤因此被晒得很黑。看到我们几个孩子来,他非常高兴,非要带我们去不远处的一片河滩摸河蚌。我们把东西放在父亲的房间,只带着一个小水桶,轻手利脚地跟着他去了。
去父亲说的那片河滩要蹚水过一片不浅的江汊。江汊水深五六十公分,宽度七八米。我们三个女孩子把裙子挽上来系在腰间,手拉手蹚水过江。父亲抱着弟弟走在最前面,很快就到了对岸,我们几个跟着母亲深一脚浅一脚、一步一歪地蹒跚而行,脚下细细的泥沙从脚趾缝中间挤上来腻腻滑滑的,一不小心就会踩在小石子上扎了脚,赶快换个地方。姐妹三个你拉着我、我拉着让你,歪歪斜斜、惊惊恐恐地终于蹚过了那段江汊(几天后父亲的同事把我们过江汊时他偷拍的照片拿给我们看,我们几个女孩子脸上惊恐的表情可笑之极,令我们羞愧无比)。
到了父亲说的那片河滩后,他让我们随便下水摸河蚌。这里平时没人来,江里的河蚌疯长。脚伸进水里胡乱一踩,就会碰到扎脚的河蚌。我们几个孩子在浅水区摸小的,父亲游到深水区摸大的。时间很快就过去了,到了下午,我们足足摸到了一桶河蚌,最大的竟然比两只手掌加起来还大!我们按原路回去,黄昏时回到了地处松花江南岸的家里。
奶奶把大河蚌切成条状和葱一起炒了,把小河蚌、田螺和其他贝类洗干净后蒸了,我们蘸着用酱油醋蒜泥做的调味汁吃,味道极其鲜美。一家人围坐在饭桌前一边吃一边讲着白天摸河蚌时各人的故事,那热热闹闹的气氛让我至今难忘。
后来,太阳岛成了全国闻名的风景旅游区,江岸修了坚固的长堤,江堤边是能跑汽车的道路,方便至极。可那疯长着河蚌的小江汊不见了,各种人工景观取代了原来淳朴的自然景色。每每想起小时候一家人一起蹚水过江汊、摸河蚌的事,心里就生出淡淡的惆怅和对童年淳朴时光的无限向往……