客の利益を与ふるには公平でなければならぬ~三越の古典に学ぶ その5~
今回は少々脱線して、万国博覧会?に向けた日比翁助専務の思いを語った部分をご紹介したい。「東京は穢いので、宿泊は箱根へ泊まってもらえ!」なかなかユーモアがあって面白い。もしかしたら本気だったかもしれないが…。
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◎大博覧会と外人の接待方
更に一層重要なるのは五十年の博覧会である。日本の真価を外国人に紹介しやうと思ふ博覧会も遣り方が悪ければ外国人との縁切りとなつて仕舞ふ。処が日本の今日の富の程度では到底博覧会其物で外国人の膽を冷やすやうは設備は出来ぬ。又東京市の汚い道路を悉く清浄にし、狭い道路を悉く広げる云ふ訳にも行くまい。そこで私は京都か箱根あたりに大々的設備をして、此所に彼等を迎へて、第一に日本独特の天然の美を味はしめたら宜からうと思ふ。朝は箱根で海洋遥に昇る朝日を見、晝は東京に来て博覧会を見、晩には又箱根に帰つて山間の月を見せたら屹度彼等は満足するだらうと思ふ。
然も之に就ては大した費用も掛る訳ではない。東京から国府津まで五十里、最大急行にすれば此間鉄道は一時間で行く、国府津から湯本まで八里。此間余り速力は早められないけれど三十分と見たら大丈夫だらう。湯本から宮の下までは電車を設ければ是れも三十分でよい。すると東京から二時間で行ける訳だ。朝の八時から九時に箱根を出れば十時か十一時に東京に着く。夫れから博覧会を見て七時か八時に東京を立てばくじか十時には箱根に帰れる。帰つて温泉に浴して日中の垢を洗ひ落とし山間の月を眺めたならば、彼等は日本の国土を以て愉快な楽園と感ずるに相違ない。
この快感は、彼等を駆つて外債に応ぜしめるだらうし、事業にも投資せしめるだらうし、箱根に別荘を拵へると迄奮発せしめるだらうと思ふ。何う考へても外客を東京にばかり置くと云ふのは面白くない。長く寝泊りさして置くと欠点ばかり見えていかぬ。箱根あたりへ祭り込んで成る可く東京の穢い所を見せないのが上乗である。
然らば私の店は五十年の博覧会に対してどうするのか。目下其計画中であるが、建物は今のザット三倍即ち三千五百坪にする積りである。此建物は博覧会開設の一年前に作り上げる様にして居る。一年前に出来ないと甚だ困る。ナゼかと云ふと、世界の人が来るのであるから我々の所は大戦争で此大戦争をするには1ヶ年間位其稽古をする必要があるからである。
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実際、1921年に西館部分(現在の日銀側の一角)の増床が完成している。「五十年」というのが明治50年(1917年)なのか、良く分からないが…。