米国に行はるるデパートメントストーアの一部を実現可致候事~「三越」の古典に学ぶ その1~
◎客に与ふる利益は同一にせよ
客を待遇するに今一つ必要なものがある。客の利益を与ふるには公平でなければならぬと云ふことである。不公平が一番悪い。仮りに三越で五千圓の福引をする。当つた人は幸福であるが、併し其金は何処から出て来るか、三越は慈善商売ではない。無論其福引の金を他の品物に割り当てて、夫れ丈け高価に売らなければ引合はぬ勘定となる。そこで当つた小数の人が余分の利を占め、当らぬ多数の人が余分の負担をすると云ふ不公平の結果を見る。詰り我々が最も忌み嫌ふ博奕に類して居る。人の射倖心に乗じて多数を欺き小数を利するものである。実に怪しからぬ事と思ふ。福引で射倖心を起さして不用品を買はせるのは罪悪だ。一時山師の店は那麼事(そんなこと)をしてもよからう。併も苟も信用を重んじ、数千年後の将来迄も多大の名誉を担ふて営業して行かうと思ふ商店は、那麼浅墓な事をしてはならぬ。故に私の店では客に与ふべき五千圓の金が有れば、物品全体の値段を安くする。現に福引をやつて居る店と比較すれば、たとへ褌一挺でもそれだけ易くして居るのである。此一事を以て全般を知るべしで、総て商店は公平に客を待遇するにある。小数者を利して多数者に損をさせる様なることは如何にしても商店の為すべきことはない。
或ひはお前の店では風呂敷をやり、尺度をやつて居るではないかと云ふ人もあるかも知れぬ。併し是を景物ではない。休憩室に茶を進め、ビスケットを備へて置くと同様、全く客に対する愛嬌に過ぎぬのである。福引などと同一視すべき物ではない。数年前店の方~屡々福引を請求された事もあったけど、私は断々乎として刎ね付けて来た。今後も同じ方針である。
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私は、三越が成長してきた要因の1つに顧客接点における「公平な接遇」があったと思う。一方で、経営システムとして「生涯顧客の育成」を推進する機能があった。この一見矛盾する組み合わせが基本戦略として機能してきた。この点にご興味がある方は『三越350年 営業革新と挑戦の歴史』(同友館,2023年)をお読み頂きたい。