精神分析は精神科学に基づき心の病を癒し人間の謎を解き明かす1-2

大澤秀行

大澤秀行

テーマ:人間とは何か


第一章 生命の始まり 『2_精神の科学の誕生』 


心の科学

精神の科学の対象に魂はない。対象は「精神」である。目に見えない、形として表わしようのない、把(とら)え難い「精神」を対象とし、それを科学の位置まで押し上げたのは、他ならないフロイトとラカンである。

かつては心理学と名乗った分野が「心」を定義して、分類と概念化したものの、それは未だ科学ではなく、フロイトの自我構造論と力動論、経済論、局所論による視覚化と生理学、数値による物理学と数学的説明がなされ、遂に心は科学の対象となった。

それをラカンは更なる科学として言語学を導入し、数列、集合論、位相学を駆使して、数学で語れる対象にした。
科学は、鏡像論において、光学的に完全に説明し、証明した。事ここに至って、精神は科学になり今日に至ったが、未だ難解という言葉で理解の外に置かれ、世間に取り上げられることはない。


人類の救世主:フロイトとラカン理論


私は臨床を30数年やり続けて、実践的に有効かつ有用な理は、フロイト、ラカン以外にない。
素人分析家が曲がりなりにも今日までやってこれたのも、生き延びられてきたのも、治療結果を、即ち成果を出してきたからである。クライアントは正直で、治療効果、即ち病理が治ったり、結果が出ない限り、口コミで広まることはない。

私は宣伝なしの口コミだけで分析を続けてきた。少なくともそれに信をおき、ラポールを形成して治療の決して短くはない道程を根気良く共に歩めたのが、何よりの証拠である。

そこで声を大きく言いたいのは、「フロイト、ラカン理論こそ人類の救世主である」と。しかし顧みる人はほとんどいない。況んや夢を分析の対象として「夢分析」をする人が何人いるだろうか。「夢は無意識に至る王道である」と言ったフロイトが夢分析の本を著したのは、1900年のことである。

それから125年後の今、私はフロイトの言った王道を今も歩いている。分析から夢をはずした事は一度もない。「はずした」とは、省くことも、その解釈を外したこともない。ここで言う解釈とは、夢の内容を言語学のいう隠喩と換喩によって、意味を置き換えて、主体が何を欲望しているかを明らかにすることである。一重にラカン理論は主体の欲望論であるから。
マテーム(図式)で表せば、であるから。



人間が生きるとは何かを明確に数学で解き明かしているのが、ラカン理論である。それはフィボナッチ数列で解く。とまれ、分析場面で行われているのは、対話である。薬も催眠も心理テストもプレイセラピーもせず、唯、会話という単なる他愛のないおしゃべりが中心である。それ故別名分析は「おしゃべり」療法ともいわれている。

うつの人が次第に心が晴れ、前向きに生きる意欲を見せ始め、再度社会に巣立っていくクライアントを見送る喜びは、分析家妙理に尽きるが、それもこれもすべてフロイトとラカン理論の実践をしただけである。私の理論は一つもない。

叶わぬ夢


この偉大な二人の師の精神の科学を敬愛して止まない。そして出会えたことの奇跡と幸運を唯々神に感謝するのみである。直接師事した事もないのは当然だが、大学で学んだ訳でも、原本から書を通じ学んだ訳でも、誰かに師事した事もない、所謂独学で理論を体得したのである。

これが誠に世間受けが悪く、どれだけ結果を出しても、資格も学歴もない私を歯牙にもかけない世間は、人類の僅かな救世主の存在を知る由もない。第一それを唯一叫んでる私が黙殺されているからである。それでも一矢を報いようと、世に二冊の本を出したがまたしても話題にならず、本の在庫だけが残った。

私の叶わぬ夢は、誰かもう一度フロイトとラカンをこの世に出して欲しい。この一点に尽きる。破滅に向かっている人類を救えるのは、フロイト、ラカンしか居ない。一日でも早く私の叫びが、地球が亡びる前に届くことを祈るしかない。

1-1『魂の救済』⇦   ⇨ 1-3 『無意識』



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大澤秀行
専門家

大澤秀行(精神分析家)

合同会社LAFAERO1(ラファエロワン)

精神分析家として34年の臨床実績があり、現在もメールや電話も合わせると、一日平均10名の精神分析によるセラピーを行っている。

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