何故浮気を白状、謝罪できないか?
よく心理学の世界では自己否定とか自己肯定感と言う言葉を使います。
当方に寄せられる相談の中には、心理学の本を読み私以上に詳しく、専門用語を使います。
しかし、残念ながらそれは知識ではあっても、自分の中に落とし込めていません。
つまり、いくら勉強をしても自分の生きる知恵になっていない人なのです。
こういう人の事を「知識があっても知恵がない」と言います。
私は、こういう人を否定しているのではありません。
大事な事は、何故、色んな知識を、自分の生き方に活用できないかと言う事なのです。
これは、自分に自信がないからなのですが、その為に、自分の事を信じられないのです。
それゆえに、相手に答えを求めようとします。
そして、その相手を信じようとします。
しかし、残念ながら、その相手を本当は心の底では信じられないと思っているのです。
何故なら、それは 信じようとする自分の判断力を信じられないからです。
ここを分かれば、色んな事の答えが見えてきます。
ここからは夫と妻と言う言い方をします。
夫が浮気をした。
そしてそれを許そうとした妻。
それなのに、いつまでも夫の浮気がフラッシュバックしてきて、つい夫に過ぎた過去の事を言ってしまい、夫婦関係が冷えていく、という相談は多いのです。
これは、妻が自分の判断力に自信がないのです。
自分の判断力を信じられず、自分を信じられない人は、その向こう側にいる夫は、もっと別の世界の生物?なので、不可解なのです。
それを無理くり信じたり、尊重したりしようとすれば、妻は完全に自分の判断力を手放さないといけなくなります。
だから、夫が浮気したのも、妻が悪い。
妻の私に悪い所があったから、夫に愛してもらうには妻の自分が変わらなければ・・・・と思ってしまうのです。
もちろん夫婦においてどちらか一方だけが悪いという事はありません。
だからこそ、どちらか一方だけが変われば・・・・
どちらか一方だけが我慢をすれば・・・・・
どちらかの妻側だけが、夫を信じれば、問題は解決する・・・・
そう思いたいのは、妻が自分に自信がないからなのですが、それは無理ないことかもしれません。
何故なら夫の浮気という裏切りで、傷ついている妻が自分に自信満々でいられるはずがない。
でもね、そう言う事ではないのです。
そんな浮気事件がない夫婦の時代はあったはずです。
その頃から、妻は自分に自信がなかったのです。
その自信の無さが、その妻のタイプによって、夫に威圧的に出たり、逆に夫を妄信したりします。
妻が自分に自信がないというのは、色んなケースがあります。
例えば、若い頃から、しっかりしていると評価され、男女平等論者で、女性らしいセクシーな事を苦手としたタイプ。
こういうタイプは、男性と知り合い、付き合っている時は、とてもサバサバしていて、男性からも好かれます。
しかし、そのまま結婚したら、結婚後もそのスタイルで、行ってしまいます。
でもね、人間って同じことでは飽きるのです。
しっかり者の女性は結婚しても、しっかりしている面を求められていると勘違いします。
その勘違いが夫に威圧的になったり、上から目線になったりします。
でもね、夫もいつまでも、しっかりしている女性の下にいるのは嫌なのです。
妻が夫に求める事は、「家庭の長ならもっとしっかりしてよ」と思っても、その上にもっとしっかりした妻がいるので、何をしても否定されてしまうのです。
でも、結婚前には そのしっかりした面を夫が好きになってくれたから、といっても、いつまでも人間は同じじゃないのです。
そこで、夫は自分を見上げてくれる女性の方に、心を移すようになります。
これが多くの浮気のパターンです。
かかあ天下が良いとは言っても、本当のかかあ天下は、そう思わせない所が、腕なのです。
何かと「貴男がしっかりしないから」という不満から始まり、だから妻がしっかりせざるを得なくなるという事は分かります。
夫が家庭や子供たちの為に動いてくれるのを待ってられないから、つい妻が動いてしまう。
その気持ちは分ります。
でも、それだけ自分が動いてしまうなら、動けばいいのですが、それを愚痴に変えてしまうと、どうしても、妻の上から目線的な言い方になってしまいます。
難しいですよね‥‥実生活って。
妻が威圧的な事をかかあ天下ではないのです。
本当にかかあ天下で行くなら、全部、抱き込んで消化するのが理想的かな?
これは夫婦の相性の部分ですが、夫が、妻のかかあ天下を望んでいるなら、それでいいのです。
でも、夫はそれを望んでおらず、家庭に無関心だから、妻がしかたなくしっかりしてしまい、妻が何でもやってしまう、と言う事で、実は妻も、そこがストレスになっているというなら、もう少し、知恵を使った方がいい。
これが生きる知恵と言う物かと思います。
自分への自信は、強がる自信ではなく、静かに自分の内面を知っているという自信の事を言います。
自分の長所も短所も知ってこそ、それは冷静な自分の分析ができます。
自分の考え癖の特徴を知らなければ、何か問題が起きた時は、つい「自分が悪かったから」と考えてしまいます。
そうなると、問題解決には、妻の自分が変わる事を担保として、約束しがちです。
それは夫からも、信じて貰えないのです。
何故なら、これまで威勢よく、夫に攻撃的だった妻が、急にしおらしく「私、変わる」と言っても
そんな簡単に変わる妻じゃないという事を夫も知っているのです。
だから、問題解決をお互い自分を信じられない者同士が「信じるか信じないか」を目標にしてはいけないという事です。
本当の自分を認める事ができないと、自分と言う人間が分からなくなり、自分を信じられないのです。
だから、夫を信じるという事で、全部人生のサイコロを預けてしまい、人任せになるのです。
今、起きている問題も、今後の努力目標も、「信じる」と言う事が鍵ではありません。
なのに、そこにゴールを置くと、話が見えてこなくなります。
今日の話は、理解できる人には、出来ると思います。
関係ない生活を送っている自己肯定感が高い人は、何の話か、さっぱり分からないと思います。
と、言う事で、今日の話は、関係のない人には、ごめんなさい、と言っておきます。
では、きょうはここまで。