愛情のケチ
今のようなコロナが始まる前、仕事が終われば、三々五々と集まる居酒屋があり、そこで、友人たちと酌み交わすのが楽しみでした。
皆、結構なアダルト年齢で、人生の酸いも甘いも通過して来た友達。
その友人が、ある日、少し荒れていました。
カウンターに置くコップも、カツンと音がするくらい、乱暴な置き方。
ちょっと、彼のイメージをしてもらうために、人物像を描写しますね。
年齢は50歳過ぎ
やや髪の毛はロン毛で、宴会をする時はギターを持って来て、歌に添って引いてくれます。
若い頃は、氷室京介が好きだったと言えば、タイプだけでも分かって貰えるかな?
若くして結婚して子供は、巣立ち、夫婦二人で暮らしていました。
では、話をもとに戻します。
いつになく荒れています。
苦虫を潰したような顔をして、ビールを飲んでいました。
私「どしたん?」
T「俺、離婚すんねん」
私「なんで?」
T「嫁はんが離婚や、って言ったから」
私「ふ~ん、ほんでTは離婚したいの?」
T「いいや、したくない。そやけど、嫁はんが離婚するって言ったから」
私「ふ~ん、ほな、嫁さんが死ねって言ったら死ぬの?」
こんな単純なやり取りだったと思います。
それから、約5年、今も一応離婚はしないで、夫婦でいるみたいです。
要するに、性格にもよるとは思いますが、彼Tさんは、短気なので、奥様さんが離婚と言ったから、頭に来て、離婚の話が進んで行ったそうです。
でも、奥さんはもしかしたら、Tさんが、離婚だと言われてから、やっと目が覚めて、気づいてくれると思った可能性があるのです。
しかし、言われたTさんは、そこで思考が停止してしまって、りこんが決定的と考えたという事ですが、それより、離婚と言われた事に
ショックを受けたという事です。
いいですか。人って口に出した時が決定ではないのです。
言葉になって出たら、それがテーマだと考えるべきなのです。
ですから、離婚と言ったという事にショックを受ける必要もなく、少し、言葉をデコレーションすると
「Tちゃん、あんたが家庭の事をあまり顧みないようなら、私は離婚もアリかと考えているのよ」という解釈です
つまり、離婚は最悪の時の最終手段なのに、短気な人がこの言葉を聞くと、後にも、先にも、これが決定事項と考えてしまうという事です。
ウン十年も夫婦していながら、お互いの言い回しさえ、読めてないという悲しい現状。
でもね、本当は読めてないのではなく、お互いどこか意地を張っていて、協議を捨てたという事です。
こういう風に離婚を決める夫婦って、意地が先に立ってしまい、ブレーキが利かなくなり、離婚に突っ走るという夫婦もいます。
後で、よく考えたら、何であの時、少し立ち止まる事が出来なかったのか、と考えると、それは、離婚をしなくちゃならない状況というより、意地の方が先行しちゃったと言う方も多いのです。
こんな風に、離婚は、そうしなければならない事情というより、歯止めが効かなかったというケースもあるので、これは互いに意地っ張りのせいで、離婚と言うのは悲しすぎます。
離婚というテーマになった時に、互いの性格が前に出ないような注意をするだけで、方向転換できるという話です。
と、いう事で、Tさんは、もしあの時私が横に居なかったら、恐らく離婚になってしまっていた勢いでした。
短気は損気。
離婚に勢いは必要ありません。
牛の反芻のように、何度も何度も、咀嚼してみる必要がありますね。
では、今日はここまで。