後ろめたさ
私は若い頃、とても真面目だったと思います。
学生時代は友人などが親に反発したり、学校をサボったりしている中で、私は勉強こそしなかったのですが、クラブが命で、クラブをしたさに学校にいっているようなものでした。
でも学校では、不良と呼ばれる人もいて、私はそういう人とも、面白さはあったので、遊びにいったりはしませんが、何となく話をしたりはしていました。
ただ、学生の頃は、制服だったので、不良と呼ばれる人は、着崩すというか、校則違反のルーズな着方をしていました。だから 不良の人達は、ひと目で分かったし、ある種グループ化していたので、そのグループにさえ、必要以上に近づかなければ、特に影響されることもなく、適度に距離を保てました。
その私が、社会人になり、色んな人とお付き合いをして、その人がどういう人か、分かるまでにはとても時間が掛かり不便だと思ったものです。
はっきり言って、真面目に生きてきた人も、学校をサボってばかりいた人も、お勉強が出来た人も、そうでない人も、親をなかせてばかりきた人も、みんな見分けが付かないのです。
もちろん、暫く人間ウォッチングをすれば、だいたいの人柄はわかりますが、学生の頃のように、服装をみたら、という分かり易さはなく、社会人になれば皆、大人に見えるのです。
そういう意味で、人は皆、普通の服装をして、大人の顔をしているので、私には、その人がどういう人かは見分けが付かないのです。
そういう時に、話せば分かるという人もいますが、言葉を操る人もいますし、嘘を付く人もいますし、口では丁寧な事を言っても、とても失礼な人もいます。
特に、真面目を装いながら、生き方がとても不真面目な人もいました。
でもそれは、見た目では何も分からないのです。
私が、このカウンセラーをする中で、見た目は普通の主婦なのに、AV女優顔負けのエッチな女性もいました。普通のファッションをして、どこにもケバイところはないのに、異常にエッチに執着する人もいました。
主婦同士では、どこのスーパーの卵が安いだの、野菜がお買い得だのと話すのに、不倫をしているとか。
もう私にとっては、何が何かわからないのです。
世の中のルールを侵して、反則をする人は、校則も守らず、制服のスカートも、下につくほど、長いのでわかりやすいという私の決め付けが通用しないのです。
よく、三面記事にある殺人事件などの犯人は、子煩悩であったり、大手企業のエリートサラリーマンであったりで、近所でも有名な、礼儀正しいお父さんであったりします。
真面目って何なのでしょう?
妻が結婚をした時には夫は、真面目を絵に描いたような人だったのかもしれません。
私の知人で、とても仕事に対しては真面目で、ストイックでした。
でも、何かの拍子に、ボタンの掛け違いが起きて、仕事先で、もう手がつけられないような、ぶつかり合いをして、退職してきたのです。
一本気すぎて、妥協が出来ず、大人の対応が出来ないのです。
正しい事を、正しいと言って何がワルイとばかりに、一歩も譲らず会社を辞めてきてしまったのです。
こうしたは、ひと事とするうちはよかったのですが 私の相談者の中に、混じり始めたから困ってしまっているのです。
自分の苦しみを訴える事に、大真面目なのです。
夫が、風俗に行ったことで、もう劣化の如く怒るか、或いは、怪我らわしい者として、何年も許さず軽蔑します。
そういう場合の妻は自分の真面目を盾に正論をぶつけます。
でもその前に、妻は言動がキツク、普段から、妻がとても、棘棘しいのです。
妻にはちょっと、言えば3倍になって返ってくるので、まともに話せないと言います。
そういう夫の悩みを聞くうちに、「真面目」に怖さを感じるのです。
私は最近、この真面目ということは、逆に暴力に感じる事があるのです。
私の所に来る相談者は、妻として苦しんでいる人たちばかりです。
夫と何らかの軋轢があって、困って誰にも話せずに 私の所にカウンセリングを受けに来たと仰られます。
よくよく聞くと、確かに、その人の夫も、決して褒められた行いではない。いえ、むしろまちがいだらけでしょう。でも、それを鬼の首を取ったみたいに、いつまでも、ぐじぐじいうと、益々夫は家庭には寄り付かなくなり、内緒の時間を外で持つようになるのです。
その結果、お金を使い、女性にうつつを抜かし、生活費も使い込み、何なら借金もして・・・・・
つまり家庭を顧みない不真面目な行いをする事になるのです。
この際の、真面目と不真面目。妻と夫。どっちもどっちです。
妻は自分が真面目なタイプだから、夫の不真面目を許せないのですが、夫も最初からそうだったわけじゃないと思います。
でも、妻は、与えられた物が当たり前になりすぎて、夫のありがたさを忘れてしまっています。
生活費が順当に入らなくなったら、夫を責め、夫は夫で、お金の事ばかりを責められるから、「俺は給料袋か」と、投げやりになって、「だったらお金さえ、入れたらいいだろう」とお金だけで繋がる夫婦になってしまいます。
そして私の所に来て、「夫から生活費を順当に入れさせる方法はありますか?」と相談されます。
つまり生活費を入れさせる方法論だけになってしまっているのです。
本当に、そんなパーツパーツの取り組みだけでいいのでしょうか?
本当に必要なのは、そんなハウツーの事なのでしょうか?
私は最近、相談者の姿を通して、その向こうにいるご主人を感じています。
確かに苦しんでいる妻の気持ちもよくわかるのですが、どうも、その人の話を一方的に聞いても大丈夫かと思う気持ちになることが多いのです。
例えば、相談を申し込んで来て、「とにかく急いで相談をしたい」と。
それに急いで返事をしたら、梨のつぶて。
何日も返事がこないのです。
つまり、ちょっと目先の問題が少し、片付いて落ち着いたのでしょう。
そしてあれほど急いでいたのに、何日も返事がない為、私はもう、その人は気が変ったのだと
処理をしたら、また何日かして、再度、相談をしたいと連絡が来るのですが、前回の梨のつぶてに対しての侘びはない・・・・・
こんな風に書くと 私がいかにも高飛車で、人に無礼を詫びてもらいたがる人間に思われるでしょうけれど、違います。
上記のような相談者の場合は、また気持ちの中で、湧き出てくる怒りを感じたら、又自分の都合で連絡をしてくるのです。
こういう困ったちゃんが、最近は多くて困っているのですが、本当に生き方に真面目な人は、私のこういう指摘にも気付いてくださり、とても相談ごともスムーズに理解されます。
しかし、自分の都合でばかり、相談者を動かしたいと思っている人は、実は自分の夫も、妻の思う通りに動かしたい人なのです。
私はこうして、相談者とは、相談の入り口。そこから、色んな人間性が見えるのです。
求める事にはとても貪欲ですが、自分の非礼には気がついてないのです。
つまり自分の傷ついた事には、とてもデリケートですが、自分の言動にはデリカシーがない事を気付いていないのです。
私は相談者にはここに気付いてもらいたいと、説明を丁寧にしますが、分かってくれません。
むしろ、まだ、相談者のご主人をやっつける?方法だけを求めているのです、
これは 私も良心の呵責を感じます。
このところ、最近、こういう相談者が少なくありません。正直、ちょっとこまっています。
相談者は大真面目に苦しんでいる事は分かりますが、自分の悩みに一杯一杯になりすぎて、周りが見えなくなっています。
どうか、ご自身のマイペースが、誰にでも通じると思うのは遠慮頂きたい。
そのくらい、ちょっと、疲れた今日この頃です。
・・・・愚痴でした・・・・
では今日はここまで。