「熊田曜子さんの離婚編」売り言葉と買い言葉
若い男性教師の目に激辛カレーを塗りこみ、買ったばかりの新車の上に乗ったり、セクハラメールを女性教員に送らせたり。
やりたい放題の先生たちの日頃の評判は決して悪くはないのです。
中には、生徒にも「いじめは止めろ」という事を指導していて、生徒たちからも人気のある先生方だったそうです。
こういうニュースを聞くと、人の裏表を改めて感じる事件です。
でも、そうは言っても、あまり驚かない私がいます。
何故なら、問題に若干違いはあれど、人の裏表や、豹変などは、このお相談業で毎日見てきているからです。
妻の訴えは、夫の浮気ですが、相談の多くは、そのやるせなさや裏切られた事への失望です。
もっと言えば、ご主人のことが信じられない中で、どう生活を共にしていけばいいのか?という事が、訴えられます。
そこで、私がお聞きするのは、「では信じられなかったら、何が都合が悪いの」と質問します。
その答えは 「夫婦が信じあえないほど苦しいものはない」という事ですが、信じあうという事はそれほど、美しい話でしょうか?
もっと、踏み込んで聞いてみると、妻は夫の浮気というトラウマから卒業できず、猜疑心の塊が尾を引いているというのです。
それは、火のないところに煙は立たないように、恐らく、疑うべき行為が夫にあったという事なのですが、逆に言うと、そんなにすぐに
何も無かったように信じるという事は出来なくてあたりまえ。
だから、疑われるような事をした夫も悪い。
そして、夫の浮気をそんな直ぐに何も無かったようには、考えられない。
だからお互いに、あっけらかんと過ごせ、日にち薬となるまで、嵐?が通り過ぎるまで待つしかない。
ただ、それではあまりにも、脳がないので 私共で相談を受けて、少しでも心を軽くしていただきたいとアドバイスに勤めています。
そんな中、一番のネックになっている事が、何かと言うと、
夫が妻の詮索を許さないという姿勢です。
「もう浮気は終ったのだから、いつまでぐずぐず言ってるんだ」と夫が妻を叱るというような立ち位置にいるのです。
その上で、「これ以上俺を疑うなら離婚だ」と夫に告げられているから、妻は自分の猜疑心を抑えこみ、夫を信じることが良い事なのだと自分に思い込ませます。
でも、そんな思い込ませも限界があり、私のところに来られます。
では、何故 夫を信じる事に限界があるのでしょう?
それは先にも書いた「信じよう」と思い込ませているからです。
人が人を信じるなんて、無理クリ思い込むことではありません。
これまでの結婚期間、何か無理をしてまでご主人を信じないといけないのでしょうか?
本来なら 信じるという事は、心からの信頼感なら美しい話です。
でも、ここは、無理クリ信じないと自分に思い込ませているのです。
では、何故信じないといけないのでしょうか?
それは家庭の中で、信じあえない者同士の生活はやりにくいものです。
それを自発的に信じているならともかく、「信じないと離婚だ」とさえ言う夫がいるわけです。
確かに夫いとっても信じて貰えない暮らしは、気分のいいものではありません。
しかし、妻がまだ、色んな不安を抱えている中、信じる努力の多くを妻がしないといけないという事がおかしな話なのです。
夫も毎日、努力し帰宅時間も遅くならない様に、努力しているかもしれません。
そして「自分なりに努力している」と言っているかもしれません。
でも努力は当然なのです、自分のまいた種ですから。
それなのに、信じる努力を怠れば、離婚だと、妻を脅かしているのです。
そうです、脅かしているのです。
そして、その脅かしに屈して、信じる努力をして、心が破裂しそうになって、当方の門を叩かれます。
そこで、私は「無理に信じる事はない」と言うと、相談者は驚かれます。
「信じなかったら、夫と益々、溝が深まります」と言われます。
そうです、妻が無条件降伏のような信じ方をしないと夫は、許してくれないのです。
それは何故でしょうか?
恐らく、夫の浮気は終ってない場合が多く、妻の猜疑心は、浮気の尻尾を掴まれることになり、浮気相手にも迷惑が掛かるのです。
だからご主人はどっちをむいて生活をしているか、これでお分かりになると思います。
ご主人は、まだまだ、水面下に潜りつつでも、浮気を止めてないのではないでしょうか?
妻は、本当のところ、それが分かっているから、いつまでも猜疑心が消えないのではないですか?
その癖、夫を信じるにはどうしたら良いですか?と、信じさせて欲しいと訴えられます。
つまり、信じられない事を、信じられるように、おまじないをかけてくれと言うのに等しい。
非常に残念なことですが、この考え方の底に流れている考え方は、「夫は昔は優しかった・・・・こんな人じゃなかった」という事です。
ご主人が、最初から悪人だとは言いません
でも、先の学校の先生方の、先生間のいじめ・・・・・あってはならないことですが、先生の皮を被りながら、片方の人格は、こんなヒドイ事をするのです。
いくら、昔の夫はこんな人じゃなかったと言っても、今、夫は浮気をして妻を裏切った事は事実なのです。
その上で、妻の傷も癒せてない段階で、「俺を信じないなら離婚だ」とまで、言わしめているのです。
暴君です。
イエスマンしか要らないといっているのと同じ、独裁者になっています。
それに恐怖心を感じ、夫に逆らわないで、もっと夫と仲良くするにはどうしたら良いか?と言う気持ちは判りますが
私にも事実から目を背けテ、それ以上に夫婦の溝が広がらないようにするには?
という質問をぶつけられます。
つまり夫のいう事に逆らうと、夫婦の溝がもっと深まると恐怖を感じているのです。
でも、この恐怖の正体は?
逆らうことを許されない夫婦の生活。
そんな矛盾はとうに、気がついていて・・・・だからこそ、その矛盾を払拭するくらいの、夫をもっと自然な形で信じられる方法はありませんか?と願い足を運ばれるのです。
貴女が恐怖心をもっているのに、それに蓋をしたいのです。
そんな蓋をした結果、何も、生まれてはきません
何も夫婦の関係は悪くなりませんよ、。
それよりも偽って、夫を信じるふりをするほうがもっと身体に毒。
無理をせず・・・・
自分の気持ちに嘘を付かず・・・・
その上で、人に求めすぎず,応えすぎず
自然体でいたいものです。
今日のテーマ「教師間のいじめで見えて来る事」で言いたかった事は、人の言葉は、全てではないという事です。
一見、教師として、立派な面があっても、それは1面に過ぎません。
教師として、日頃頑張っている面も、その人ですが、片や、悪ふざけをして、同僚を苛めるという面もその人なのです。
人間は色んな面で構成されています。
政治家だって、学校の先生だって、警察官だって、
最近は色んな事件を起すじゃないですか。
それも、その人なのです。
夫に対しても信じられなくっても、あなたの知らない面は絶対にあるのですから、多面的に捉える必要があります。
まさかと思っても、それは貴女が見てきた一面であり、また知らない面との出会いで、面白くもなっていく事もあります。
だから、パートナーを見る目を肥やして、いろんな面へ対応していける器用さも身につけましょう。
ある意味、一面だけしか知らなかったなんてつまらないですから。
では今日はここまで。