後ろめたさ
ここのところ、毎日のように、子供を虐待によって死亡させる事件が、ニュースで取り上げられています。
数字上で言えば、1週間に一人の子供が亡くなっています。
船戸裕愛ちゃんの昨日は公判がありました。
4歳当時、朝に自分で目ざまし時計を掛けて、5時から字の練習。
それをさぼったとして、反省文を両親に向けて書いた事件で、そんな幼い子供が「もう二度と遊びません」だなんて、可愛そうすぎます。
その公判では母親が夫のDVを恐れ、子供を守れなかったとしゃくりあげて泣いたとあります。
何倍も泣きながら、許しを乞うた裕愛ちゃんの涙はそんな母親の涙より、もっと濃いはずです。
また、数日前には、母親の内縁の夫が、ママの連れ子を、浴槽で溺死させた事件も報じられました。
その内縁の夫が、腕からの入れ墨(ここはタトゥーではなく、和彫りの絵柄ですから入れ墨と書きます)を
隠しもせずに、テキーラを飲んではしゃぐ姿を放映しています。
ぞっとします。
逮捕された母親は恐らく内縁の夫を恐れていて子供を守れなかったと言うでしょう。
自分の罪を軽くするための、そう弁解をするのでしょう。
でもね、そういう性格の内縁の夫と、仲良く、同じレベルで、子供を虐待していた経緯はあるのです。
異常な環境で、異常な精神状態で正しい判断が出来ない状態だったと、言い訳するでしょう。
そして、そういう入れ墨を隠しもしない男性を好きになって、その男性側に立っていた時は、少なくとも内縁の夫を恐れていた気持ちが数%はあっても、きっと、子供よりその男性を取ったのです。
内縁の夫から児童虐待を受けた子供には、みんな同じ共通点があります。
近所の人が、確認していますが、夜になると、そんな幼児を家から追い出すのです。
下品な想像かもしれませんが、若い男女にはセックスが大きな娯楽になります。
そんな時に、幼い子供が居ては邪魔なのです。
だから、冬であれ、夜であれ「あっち行け」とばかりに、家を追い出すのです。
それが長期に渡ると、食事も与えず、ペット用のゲージに閉じ込めたり。
人間扱いしていない・・・
百歩譲って、母親も内縁の夫に対して無抵抗だったとしても、唯一の味方である母親が、内縁の夫と一緒になって、子供を殺める事に至るまでには段階があると思います。
そんな男を好きになる事はあるにしても、引き返す事を出来るタイミングはあったはずです。
例え、そういう男性の支配下に置かれ、恐怖に思い、逃れられなかったとしても、結果的にはそういう男性と一緒になって自分の子供を殺めたのです。
同じ穴のムジナです。
SOSは出でたはずなのに、母親は出さなかった。
それは何故か?
そこが悲しいかな、「女」だからです。
母親を捨て、「女の部分」に喜びがあったから、その母親は、内縁の夫を恐れていたとは言え
100% 怖かったのではなく、快楽に慰められていた部分はあるのです。
もし内縁の夫が、DVだったとしたら DVには、暴力を奮う時(精神的DVも含む)ばかりではありません。
そういう感情の起伏が激しい男性は、DVのハネムーン期と言って 普段の倍ほど、優しくします。
それは、DVの特徴だとして、母親がそういう物に流されていったとしても、自分の子供にまでDVをする場面を見たら、もう母親は目を覚まさないといけなかったのです。
でも、何故それが出来なかったか?
これが、大人の怖いところです。
母親のそういう不安すら、セックスで、かき消されていますのです。
任がセックス、されどセックスです。
でも大人は 不安を色んな手段で誤魔化す事が出来ても、子供は、何も置き換えるすべを持ちません。
だから、世の女性に言いたい。
一緒に生活すると、便利かもしれない。
でも、自分の連れ子を大切にしてくれないと分かったら、そこは何をおいても逃げるか別れるべきです。
子供の学校、保育園、色々わずらわしい問題はあっても、自分の子供をひどい目に遭わせる男性なら
即刻、嫌いになる感覚を持って欲しいのです。
それでも、そんな男と離れられないなら、いっそ、子供はおじいちゃん、おばあちゃんに預けて、遊び呆ければいいのです。
子供を失うというイメージは前もって出来ないかもしれませんが、その母親の好きになった男は、子供をかわいがれない人というレッテルを張れば、その後の行動は決まって来ます。
どんなに素敵なピロートークをされたって、自分の子供ごと、すべて含んで愛してくれない男なんて
別れたらいいのです。
人の事だから、簡単に言うと思われるかもしれませんが、簡単で結構。
難しい事を考えずに、そんな男性を好きなら、子供は含まない付き合い止まりにした方がいいと思います。
勿論、児相談所の無責任や、警察の間違った対応で、救えなかった落ち度はありますが、結局、それらは他人なので、母親なら、子供を色々なポイントで、救えるタイミングはあったのに、見逃してしまったという問題点はあります。
子供を守ると言う大きな役割さえ、母親が果たせるのであれば、その後、そういう男性とは、お付き合いをするのは自由です。
ホテルに行きたきゃ行けばいい。
母子家庭の家に転がり込んでくるという男性であれば、まして子供に暴行を奮うような事があれば貴女の「彼、好き好き度」のバロメーターをリセットしてください。
ただ、そんな事を出来なくさせてしまい、大人の判断をややこしくしてしまうのは「性」の事です。
こういう大人の残酷な行動の根源にあるものにも議論がなされないといけない。
今、メディアでの取り上げ方は 児童相談所の無責任や、警察の間違った対応が問題視され、責任のなすり合いばかりをしています。制度の在り方や、各所の改善点は、国会の法改正に任せて、我々個人的には、特に母親として出来る事は、子供を守るというシンプルな事です。
他人の男性を変える事なんて至難の技。
でも、女性の有り方として、性に翻弄され、自分の大切な子供を男性の下に位置づけして考えるのは止めましょう。
私は日頃、夫婦においてのセックスの大切さは唱えています・
ここをないがしろにしてはいけません。
でも、こうした児童虐待が行われる家庭においては、男と女としての結びつきはあっても、心の繋がりはありません。
母親は男性に対する恐怖や心の空洞を、セックスで埋められても、子供にはそういう風に置き換えられるものがありません。
子供って、下に兄妹が生まれると、しばらく上のお兄ちゃん、お姉ちゃんは赤ちゃん返りをします。
つまりママやパパが、赤ちゃんに取られたような不安に駆られ、自分も赤ちゃんに・・・・という気持ちだそうです。
そのくらい、ママは自分だけのママなのに、いきなり、ママの友達をして割って入ってきた知らない男性は本当は恐怖の存在なのです。
それを、しばらくは手名づけられて、段々、その男性がママの好きな人だと安心した途端に、その男性は豹変するのだとしたら、子供の不安なんて、ママのそれに比べたら、比じゃないくらいの大きさ。
何度もいいますよ、
大人は多少の不安があってもセックスで誤魔化す事が出来ます。
でも、子供には、母親しか信じる者はいないのです。
そのママが他の男に心を持っていかれているというのは、子供は不安の塊です。
それでも、裕愛ちゃんは、赤ちゃん返りさえ許されなかったのです。
自分の子供より大切な男性って何なのか、私には考えられません。
男は二の次でいいのです。
まして、赤の他人の内縁の夫なんて、子供にとったら、ママを取った男で子供には本当は必要ではないのです。
男性の稼ぎは、家庭を夢見る母子家庭においては、再婚をイメージするかもしれませんが、そんな子供に冷たくしたり、母子家庭に転がり込んでくる男なんて、きっと生活を面倒看てやろう、なんて男気はありません。
それより、そんなきちんとした事を考えて無いというのが、こういう状態を呼ぶのですから、そんな男性が好きであれば、好きだけで、留めりゃいいのです。
結婚なんてしたら。また不幸な家庭が生まれます。
そういう風に、心と身体を切り離して考える冷静さが女性には必要かと思います。
特に母親には・・・・
一般の夫婦において、性の問題をないがしろにしたら夫婦が壊れてしまうこともあります。
夫が、その性におぼれたら、浮気を始めたり、やめられなくなったり、と性の問題は、家庭に色々な影響を及ぼします。
夫婦で そこの問題を見て見ぬふりをしたら、離婚へ発展する事もあります。
しかし、妻が、見て見ぬふりをしている自分を誤魔化せば、「夫婦の心の交流」などと言って、言葉や会話にこだわるようになります。
本筋はそこではないのに・・・・・
夫はボディーランゲージを求めているのに、そこに苦手意識を持つ妻ほど、会話を求めます。
男性には言葉の会話より身体の会話。
つまりボディーランゲージです。
これを苦手と思い誤魔化す妻も、違うんじゃないかな。
かと言って、コミュニケーションが夫婦の基本と閑雅ている妻もトンチンカンです。
男性には適度な会話で、たくさんのスキンシップ。
これに気づかず、会話に頼ろうとしている妻は、本当言えば、セックスから逃げているのです。
ここに気づかないと根本的な解決はありません。
では、今日はここまで。