愛情のケチ
今日のテーマは心ってどこにある?です。
普通心って、人は胸に手をやります。
しかし、本当の心って、胸ではなく、頭にあると思います。
「私の夫は真面目で、仕事一本槍」と考えてる奥様方に言いたい。
男性が仕事を一生懸命に頑張るのは、家族の為、家庭の為と言いたい所ですが、実際は違います。
解り易い言葉でいうと、むしろ仕事を一生懸命するのはある意味、自分の為です。
自己満足とはいいませんが、仕事をして自分を満足させるものとして、プライドや、見栄や・・・・
もっと言えばモテたいからです。
つまり自分へのお褒めの言葉をほしいのが男性と言うものです。
しかし、夫婦は長年経つと、夫を理解しているからこそ、夫にダメだしする妻がいます。
長い付き合いになると、妻も、夫や妻やという役割ではなく、夫婦は同志のようになります。
私も実はこのタイプ。
そこに、あぐらをかき、妻は夫の悩みを聞いてやれず、夫を尊敬もせず、友達のように
フラットな関係性を築けばいいと考えていました。
しかし、この仕事を通じて見てきた男性は少し違いました。
例えどんなに結婚生活が長くなっても、いつまでも尊敬される存在でありたいようです。
男性とはそういう生き物です。
そのかわり、一家を養っていくという、荷物を背負っている生き物なのです。
だからそのご褒美に、オスとしての自尊心をくすぐられるのが、働く糧になるのです。
それなのに、変な男女平等という教育を受けて育ったものですから、妻という女性は感謝の心をしりません。
何故なら、男性は外で働き、女性は家庭や子供を育ているから、「妻の私だって尊敬されてもいいのに」
「何故夫ばかりを尊敬しないといけないの?」ここでも平等風。
ずーーと出産後も仕事を辞めずに働き続けた女性はえらいと思いますよ。
でも日本の企業を見てご覧なさい。
同い年なら、絶対に男性の方がお給料は高いのです。
かの公務員だって、年齢給は同じでも、夫が大黒柱なら、きっと、妻よりはお給料は高いはずです。
いくら愚痴っても、日本とはそういう国なのです。
男性の方が、女性より格が上。
だからこそ、男性は尊重されるべし、という日本の教育は、おかしいかもしれませんが
このコラムを読まれている夫や妻は、殆どが、そういう教育の元で育ったのです。
だから、男性は、女性から尊敬されるから、木に登るのです。(ア。猿だと言っちゃった)
おだてないと仕事をしない、やっかいな生き物なのです。
でも、そんな事をいうと私だって頑張っているのに夫は褒めてくれない」という妻がいますが、そこで張り合っても仕方があい。
日本と言うのは、そういう国だから。
そこに文句があるなら、貴女は平成の夫を貰うしかない。
昭和の男性に養って貰っているなら、夫をおだてる方が楽です。
おだてて、よく働いてくれるなら、離婚して妻がしゃかりきに働くより、楽という生き方も悪くはない。
強がりで意地をはるより、後ろ向いて、舌をペロッと出しながら、夫をおだてる事が出来たなら
家庭のために男性は、一生懸命働いてくれるでしょう。
それなのに、私は思い起こせば、フラットな口の聞き方をすれば、フラットな夫婦の関係を築けていると勘違いしていた。
夫婦とは例え、他人行儀でも、見え透いたお世辞を言うくらいの方が上手く行く。
本当の言葉って何なのでしょう?
心が通じ合うって何なのでしょう?
何でも本音で、言葉を飾ることなく、話せたら何と素敵でしょう。
でも残念ながら 昭和の男は、「心にもないお世辞」を言われた方がよく働くのです。
あなたの【見え透いたお世辞】という言葉が夫を発奮させるなら、口はタダです。
それで、年収が何十万違うなら、夫を働かせる為に、心にもないお世辞も安いもの。
悲しいですが家庭や夫婦を上手く運営していくんは、心にもないお世辞が夫を動かすのです。
心って何なのでしょう?
心って、胸ではなく、頭にあると私は思います。
頭で考えられた、一週回って、頭から出た言葉が、本当の相手を思う言葉かもしれない。
つまり、心って、本当は胸のところのハートにあるのではないのです。
計算しつくされた、頭脳の中にあるのが、心です。
言うなれば、こころから出た言葉は、本当は、心発信ではない。
つまり心って、本当は、「心無い言葉」なのかもしれません。
では今日はここまで。